宇垣美里はなぜいつも“落ちぶれる”のか―「ジェンダー・ギャップ」120位男女差別記事が平然と消費される日本

拡大画像を見る

 2021年6月22日、政府がまとめた報告書によると、3月に公表された男女格差を測る「ジェンダー・ギャップ指数2021」にて日本の順位が156カ国中120位であったことが報道された。このニュースを耳にして、「一体、この国のどこでそのような男女差別が行なわれているのか」と首を傾げた人も多いのではなかろうか。

 男女差別の多くは、性別に関わらず、そう考えた人のすぐ近くで行われている。会社、学校、家旅、ご近所、友人。そういった小さな社会に“水滴”のように存在している。

 どうしてか。それが差別だと気付いて問題視してくれる人がいないからだ。

 その証拠に、公然と行なわれている男女差別表現が満載のゴシップを、多くの人が当たり前のように受け入れて、コンテンツとして消費している。

 一例として、宇垣美里さんと田中みな実さんのネットメディア上での扱いの話をしよう。

宇垣美里さんを「落ちぶれた」とあざ笑うネット記事の存在

 2019年3月にTBSテレビを退社し、同年4月からフリーのアナウンサーとなった宇垣美里さん。彼女は現在、マスメディアにあまり顔を出さない。宇垣美里さんは、一部から「第二の田中みな実」と呼ばれたこともあり、田中みな実さんの引き合いとして彼女の名前を出す記事がある。

 そうした記事の中では、「テレビ番組への出演頻度が減った」ということを理由に、「宇垣美里は第二の田中みな実になれなかった」「田中みな実は媚びを売って成功したが、宇垣美里はプライドが高く媚びが売れなくて失敗した」といったように、まるで彼女が落ちぶれたかのように語っている。「芸能人は媚びてナンボという存在なのに、彼女は芸能人としての民度が低いために消えてしまった」と、「媚びを売らない芸能人=民度が低い」というわけのわからない理屈をこねてまで彼女を貶めて。

 しかし、宇垣美里さんは当然落ちぶれてなどいない。テレビ番組以外の場所で今でもその魅力を余すことなく発揮し、活躍している。

 それなのに、テレビ番組への出演回数のみをあげつらい、「落ちぶれた」かのようにあげつらってあざ笑う。宇垣美里さんが落ちぶれた原因は、田中みな実さんのように媚びを売れなかったからだと。彼女を見習って、プライドなんて捨てて媚びを売っていれば良かったのに、と。

「女性は媚びを売らなければ活躍できない」と考える人たち

 そもそも私からすれば、「田中みな実が媚びを売っている」という評価にすら違和感がある。確かに彼女は、男性ウケする女性として表舞台で振る舞っている。しかしそれは「あざとい」であって、「媚びを売る」とは違う。彼女は、自分自身の魅力を理解して、それを磨き、最大限評価されるように表現しているに過ぎない。

 けれど、それを認めない人が一定数存在している。「女性は能力が低い生き物なので、媚びを売らなければ社会で活躍できない」と考えている人たちだ。そういう人らが、田中みな実さんの本来の能力を認めずに「媚びを売ったから成功した」として、「他の女もそれに追随しろ」と指摘する。

 そして、媚びを売る女とプライドの高い女という対立図で、宇垣美里さんと田中みな実さんを面白おかしく描く。二人とも、相手を敵視しているだなんて公言していないのに、そうやって、彼女らをコンテンツ化して楽しむ。

 こうやって、才能を発揮して活躍する女性を見下しているネットメディア記事が、当たり前のように受け入れられて消費される。彼女らは有名人なのだから有名税だと、そう言われても仕方ないのだと言って。公然と差別が行なわれているのに、誰もそれが差別ではなく、その人個人の行動の結果だとして受け止めるべきだと聞き流す。

 これが、現代日本に於ける女性の扱いだ。

 有名人だから仕方ない。女性だから仕方ない。年下だから仕方ない。生意気だから仕方ない。弱いから仕方ない。そうやってありとあらゆるステータスを「差別されて然るべき理由」と定義して、問題を見て見ぬふりしてきた結果が今の日本で、ジェンダー・ギャップ指数という数値として現れたに過ぎない。

 それは、何も女性に限ったことではない。男性だから。障がい者だから。貧乏だから。金持ちだから。問題を見て見ぬふりするため、差別されて然るべき理由をいちいちつけて正当化して、日本に在住するほとんどの人が差別されて然るべきステータスを有することとなった。

 無意識だ。悪意なんてない。差別だと自覚して差別している人はほとんどいない。だから、解決できない。悪事だと自覚できる悪事はやめられるけど、悪事だと自覚できない悪事は悪事ではないから、やめる理由がない。追い詰められた側も、相手の悪意のなさに混乱して、自分がそう扱われて然るべき人間なのだと自分を追い詰めていく。そして、自分を殺す。

悪意のない男女差別がジェンダー・ギャップを生んでいる

 こういった話をすると、「女性側の被害妄想だ」と苦笑いされることがある。残念ながら、親しい友人であっても、女性であっても。

 つまり、恐ろしいことに、多くの男性は「女性は感情的に被害妄想を抱くものだから相手にしなくてもいい」という既成概念化した固定観念の下、無意識に女性を差別している。だからこそ多くの男性が、ジェンダー・ギャップ指数の低さをアンリアルに感じるのだろう。

 しかし、こういう話がある。

 アメリカのある企業で、ある男性スタッフが、最悪な顧客とメールでやり取りをした。どう最悪かというと、その顧客は横柄で侮蔑的で、要求をことごとく無視して、話が一向に進まない。

 どうしたものかとうんざりしていたとき、ふと気付いた。その顧客へのメールの署名が、誤って別の女性スタッフの署名となっていたことに。

 このとき、男性スタッフは「署名を間違えていた」と言わず、「女性スタッフからプロジェクトを引き継いだ」と顧客に伝え、署名以外は全く同じやり方で接客を続行したところ、信じられないほどスムーズに話が進んだという。

 男性スタッフはこの経験から、「2週間、女性スタッフと名前を交換して働くという実験」を行なった。すると、いつも通りに仕事をしているのに、すべての提案に難癖をつけられ、見下したような態度を取られ、最悪な体験だったという。

 反して、男性スタッフの名前を使った女性スタッフは、これまでで最も生産的に仕事ができたと話した。

 男性スタッフはこの経験から女性が未だに著しく差別されていることを知り、SNSでその旨を発信。この情報が全世界に広まって、日本にいる私にも届いた。それほどに、無視できない情報だと扱われた。

 諸外国はその事実を受け入れて、ジェンダー・ギャップを埋めるあらゆる取り組みをしている。しかしなぜか日本人の多くは「女性の被害妄想だ」として無視してしまった。その結果が今、「156カ国中120位」という、政府が無視できないほどの数値として現れた。

 こうした現状を変えられるのは、現代社会に於いて権力を持っている人だ。

 そうした人が、純粋に女性の才能や個性、仕事を評価していく。多くの人は、権力者の評価は正しいものだと受け止める。だから、たったそれだけで、その社会に於ける女性差別は減るだろう。

 そうやって、女性の活躍を認め、評価を広めていくことだけが、現代社会に生き辛さを感じている女性を救えるのではないだろうか。

 ジェンダー・ギャップを埋めることが出生率に関係するとかしないとか語られているけれど、私は、そんなことやってみないと誰にもわからないと思う。ただはっきりとわかることは、このままでは、差別が当たり前の社会で子どもを産みたくないといって出産を拒む女性が増えてでも、女性として産まれた子らが自死を選んでも当然の社会が形成されていくということだ。

“中国の水拷問”という拷問の様式がある。それは、拘束して目隠しをした拷問相手の額に、一定時間おきに水滴を落とすといったものだ。ただの水だから、痛みはもちろんない。けれど、その拷問を受けた人は、いずれ発狂する。

 それと同じで、毎日の小さなストレスは、少しずつ、けれど確実に人の心を蝕む。「ただの水なのに、何を怖がっているんだ」と笑われて行き場を失えば、余計に。

 些細な差別に思えるかもしれない。けれど、「そうはいっても大したことないんだろう」と軽んじずに、目の前の問題を直視してほしい。自分が受けない差別を否定する習慣だけが、この世から差別を減らしてくれるのだと、私は思う。

  • 7/1 12:00
  • サイゾー

スポンサーリンク

記事の無断転載を禁じます