【連載対談】【対談連載】インプレスホールディングス ファウンダー/最高相談役 塚本 慶一郎

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【東京・神保町発】塚本慶一郎氏は1980年代、IT産業の旗手として登場したベンチャー企業アスキー出版の共同経営者だった。その後は電子出版の草分けであるインプレスを創業するなど、デジタル出版界を牽引してきた。塚本さんは私にとっても友人でありブレーンだった。かつては経済系雑誌編集局長と3人で定期的に情報交換をしていた。塚本さんの功績をあらためて振り返ると、40年以上前の発言から先見性の高さは証明される。今回は、間もなくインプレス創業30周年ということもあり、取材を申し込んだ。現在、彼は発声が困難そうなので、過去の彼の語録を見たり、ときどき紙に書いてもらい眼の奥で対話をしながらインタビューを進めていった。
(本紙主幹 奥田喜久男)

【はじめに】
 今回の『千人回峰』は、異色な構成でお届けします。重篤な状態に陥り、その後遺症で言葉を発するのが大変そうな塚本さん。今回、インタビューに応じてくれた。このうれしい対談を何とか形にしたいと考えて、塚本さんの語録を対談相手に据えました。前編は、私の問いかけに塚本さんが身振りや表情で答えるという形で足跡を追い、後編はお嬢様の由紀さんに加わってもらい、最近の氏の様子をうかがうことにしました。

 久々に塚本さんとお会いして、“あの頃”を振り返りながら、充実したひと時を過ごすことができました。ぜひ、ご一読ください。(奥田喜久男)

●『月刊アスキー』創刊で
PC情報革命をリード


 塚本さんは、コンピューター理論の基礎を築いたノーバート・ウィナーの『サイバネティックス』なんかを高校時代に読んで、人工知能を作ってみたくなったそうですね。大学時代にミニコンを触りながら、ミュージック・シンセサイザーにつないで演奏させたり、マイコン雑誌『I/O』を作ったりする中でこう思ったというから、現在のコンピューターの姿を予見されていたのですね。
 「コンピューターの行き着くところは人間のシミュレーション。コンピューターに少しずつ複雑なことを教育していけば、最終的には人間と同じようなことができるんじゃないか。ひいてはそれが人間そのものを理解するようになるんじゃないか」(1976年)
 1976年といえば、日本のマイコンブームの火付け役なったNECの「TK-80」が発売された年。翌77年には、当時早大生だった西和彦さん、システムエンジニアの郡司明郎さん、電通大生だった塚本さんの3氏共同でアスキー出版を設立されました。塚本さんはコンピューター情報誌『月刊アスキー』創刊の立役者となったわけですが、編集者と記者、制作の三役をこなしたという活躍ぶりは驚きです。
 とくに、コンピューターの使い方をわかりやすく解説する入門書を手がけたことは注目に値します。これがアスキーの主力事業になっていったのは周知の事実ですから。
 「家庭や日常生活の中に入ったコンピューターは、テレビやビデオ、ラジオのような、いわゆるメディアと呼ばれる、コミュニケーションの一手段になるのではないでしょうか」(1977年)
 この語録の通り、85年にはいち早く国内初めての本格的なパソコン通信サービスを開始し、課金システムも導入するなど、塚本さんは見事に時代の空気をすくい取ってこられた。
 「これがブームから革命に移る過程は、自発的に、主体的にユーザーが行動できるかということにかかっていると思います」(1980年代)
 マイコンからパソコンの時代。この頃は、私たち専門紙の記者も忙しくなった時期です。コンピューターは、テレビやラジオのように一方向ではなく対話ができるメディアであることがポイントになります。塚本さんはこの頃から、コンピューターを人とのコミュニケーション・ツールと捉えていて、その意識が強かったようですね。

●1992年、インプレスを創業
国内初のインターネット情報誌も創刊 


 経営方針の相違から、塚本さんと郡司さんはアスキーを抜けた。塚本さんがイメージしていた出版社の未来像とは、情報を扱う会社にふさわしい形を作ることでした。社員だけがどんどん増えてきたことを嘆いていましたね。パソコンという機械の能力の限界も見えてきて、興味を失い、その反動で「出版や通信のようなメディアビジネスで論陣を張っていくということに俄然興味が出てきた」と話していました。
 「電子出版社の仕事は地図や楽譜などデータの出版なんですよ、今のコンピューターって、情報を見るための窓はあるけど景色がない。その景色を作るのが出版社の役目なんです」(1991年)
 この言葉は、今に通じているようです。YouTubeなどで情報は氾濫しているけれど、検索の「窓」にキュレーションや編集者の役割がないと面白いものができない。文脈を編集していったり、そこに意味を作っていったりする「景色」が必要ということですね。
 「知恵と感動を共有する」と、塚本さんはよく言っておられたけれど、その知恵というのは、データではなく、データが知識になって、知識をどうやって知恵までもってけるか、ということでしょう。塚本さんは、常に景色作りに興味をもっていたのだと思います。
 「メディアの変革の時期に立ち会える存在として感動を共有しよう」 「新しいことをやりたい人間に大きな自由度を」(1992年)

●複数のメディア企業が協力しあう
グループ経営を目指す


 「世の中を変えるパブリッシングメディア」を創りたいと創業したが、本当に世の中が変わると実感したのはこの頃 (1994年)
 塚本さんが制作されたコンピューター雑誌はウィンドウズ95ブームで大ヒットしました。
 「インターネットって、どこに売ってるのですか?」と聞く人がいたというように、世の中にまだ浸透していない1994年に、『インターネットマガジン』を創刊し、日本におけるインターネット普及を大きく後押しされました。   
 また、インターネット上でのコンテンツ出版「INTERNET Watch」などの商品化も成し遂げてこられましたね。
 インプレスは、音楽やグラフィック、プログラミングなど専門コンテンツを持つメディア企業として発展し、電子書籍も次々と手掛けられた。塚本さんは経営者としても注目され、雑誌ではその後に来るインターネット時代の到来を見事に言い当てるとともに、技術、製品、サービスなど専門性の高い情報を取り上げた。今で言えば、デジタルコンテンツを出すデジタルコンテンツパブリッシャーになったというわけです。
 出版文化とインターネット文化、この二つは関係がないように思われるかもしれませんが、この辺は連綿と繋がっています。もともとメディア業というのは文化に対応しています。文明の上での一種の遊びとして、文化というものが浸透していくのではないか。
 印刷文明からインターネット文明に完全に文明が切り替わっていくという大きな流れがここに出ている。「ダウンロードは儲からない」などと言われていますが、この流れは、もう少し我慢すればけっこういい線にいくのではないかという気がしています。(2001年)
 この「もう少し」が10~15年の我慢になった。2002年以降は携帯コンテンツのガラケーの時代。今で言うDXなどIT技術の進化によって作られたシステムも30年を要した。
 塚本さんは電子出版をやる中で、「デバイス側もついてこなかった」と言っていた。その段階では、まだ理想の像には到達していなかったと見ていたわけですね。だから、グループ経営の在り方に言及された。
 私は複数の専門を深く掘り下げているメディア企業が協力しあうグループ経営を目指す(2001年)
 塚本さんの経営の仕方は、それぞれの業種に一つの専門出版社にM&Aでグループへ参加してもらうというもの。たとえば、リットーミュージックやエムディエヌコーポレーション、山と溪谷社など、老舗というか、きちっとしたところをファミリーにしておられる。
 通常M&Aというと上場会社が事業規模を大きくして時価総額を上げるために行うけれど、インプレスは少し違っていますね。塚本さんは社会の中に貴重なコンテンツを備えて、一つずつ素材として集合体とする。すると社会そのものの情報の絵ができる。それを自分の頭の中で描いていた。そして、それらの出版社を健全に自主独立で発展させていく。しかも、ホールディングスで全員の成長をともに共有したかったのではないかしら。
 インプレスが入道雲のようにグワ~っと大きくなるじゃないですか。その秘訣というのか、イメージは塚本さんの中に「なにかある」のですか?
 ふつうにやってるだけ……(直筆)。
 かっこよすぎるね。
 (はにかんだほほ笑み)(つづく)

●インプレスを守る招き猫


 1986年元旦、高崎のだるま市で招き猫が売られていると聞きつけ、深夜に塚本さんと奥様ででかけ、担いで持って帰ってきたものだそう。左手を上げている「人招き」で、高さは1mくらい。アスキー時代の副社長室には招き猫が100体ほど飾られていたとも。この写真の猫は、色は剥げ落ち、輸送で鼻や手が壊れてしまっていますが、当時からいまも、インプレスを見守っている。(撮影/塚本由紀)
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
  • 6/25 8:00
  • BCN+R

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