「私は、あなたのこと…」サイコパス社長を動揺させた、部下の予想外な言葉
東京の平凡な女は、夢見ている。
誰かが、自分の隠された才能を見抜き、抜擢してくれる。
誰かが、自分の価値に気がついて、贅沢をさせてくれる。
でも考えてみよう。
どうして男は、あえて「彼女」を選んだのだろう?
やがて男の闇に、女の人生はじわじわと侵食されていく。
欲にまみれた男の闇に、ご用心。
◆これまでのあらすじ
突如、欠勤した秋帆。彼女ももう終わりだろうと、黒川が人事部長に処分を指示していたところ、秋帆が勢いよく乗り込んできたが…。
▶前回:24時間、社長の監視下に置かれた女。そこから抜け出すために取った、命がけの行動
「とりあえず、白田さんの話を聞くことにしよう。悪いが、ドアを閉めてくれるか?」
黒川は、傍らに立っていた人事部長に指示を出した。
「ですが黒川社長、この後は社内の会議が…。白田さんのことでしたら、私が対応いたしますので」
多忙の黒川に気を遣ったのだろう。人事部長は、パソコンに表示されたスケジュールを見ながら、遠回しに進言した。
だが、今の黒川にとっては、自分に反旗を翻した秋帆を懲らしめるほうが優先だった。これまで、自分に逆らった者にそうしてきたように。
黒川は、「会議はいくらでも再調整できるから問題ない」と人事部長に告げた後、わざとらしく言った。
「考えてもみてくれよ。僕の右腕として活躍してきた白田さんが、僕に助言してくれようとしているんだ。
大事な彼女の意見を無視するわけにはいかないだろう」
「はっ、はい…」
黒川の言葉に、人事部長はドアのところまで飛んでいき、ドアを勢いよく閉めた。
ガチャン。
扉の閉まる音が、シンと静まり返った部屋に響く。
人事部長が元いたところに戻ったところで、黒川がゆっくりと口を開いた。
「で? 何がおかしいって?ゆっくり聞かせてもらおうか」
結局、秋帆は黒川に圧倒されてしまう。そんな彼女が口にしたことは…?
程度の低い女
「その…」
秋帆は、早速言葉に詰まった。
― まぁ、そうなるだろうな。
それは、黒川の想定通りだった。威勢よく切り出したところで、秋帆が自分の意見を論理的に説明できるはずもないのだ。
ただ、そのまま潰すのも面白くないだろう。土壇場で何かまた面白いことを喚くかもしれない 。少し泳がせてやってもいい。
そう思った黒川が秋帆の発言を待っていると、彼女は口を開いた。
「やっぱり、こんなの納得がいきません!」
だが、それに続く言葉は出てこなかった。
これも想定内だった。
下手な正義感を振りかざし、怒りの感情をぶつけるだけの愚かな人間。結局秋帆は、その程度なのだ。
「何か勘違いしているようだけど」
黒川は秋帆に向かって、今まで黙ってきいてやっていた分怒涛のようにまくし立てた。
「ウチは株式会社ではあるが、上場などしていない。株式は100%俺が所有している。雇用や解雇については労働基準法や民法を遵守する必要はあるが、社内のことは俺が決める。
気に入らないなら、やり方が合わないなら、ついていけないと思うなら出ていけばいい。それだけのことだ」
「そんな勝手な…」
「どこが?」
反論もできないくせに、言葉だけが先行する秋帆の言葉を、黒川は容赦なく遮った。
「彼らは、あくまで自己都合退職だよ。そうするように強制もしていない」
ぴくり、と人事部長の体が反応したように見えたが、黒川はそれを無視して続ける。
「それに、強制的に退職させる必要もない。私は、これまで雇ってきた従業員は全員プロだと考えてる。退職したのは、単に退き時を見極めただけのことだ。
逆に教えて欲しいね。私の行為のどこが法律に違反しているのか」
「でも、あんなやり方…」
彼女のいう、“あんなやり方”とはきっと、部屋に呼び出して怒鳴り散らすことを指しているのだろう。
「だから、何だっていうんだ?言いたいことがあるなら、言いなさい」
「…」
せっかく反論の余地を与えてやったというのに、秋帆は黙り込んだままだ。そして黒川は、一気に畳みかける。
「“人を手段としてしか見ない”経営が許されないというのなら、君はすべて捨てたほうが良いだろうな」
そして秋帆の手に握られていたスマホを指差しながら、こう続けた。
「食品だって、衣類だって、すべてがそれに当てはまる。君が持っているスマホは、海外で強制労働によって作られているかもしれないんだ。それを君は、何も考えずに使っているわけだ。
そんな話は世界中、山ほどある。なぜ俺のやり方だけが非難されるんだ?」
怒りのボルテージが最高潮に達した黒川は、最後にドンッと机を叩きつけた。
「ご、ごめんなさい…」
すっかり委縮してしまった秋帆は、肩を震わせながら頭を下げた。
― まぁ、こんなものだろう。終わりにしてやるか。
黒川が「もういい」と告げようとしたところで、秋帆がパッと頭を上げ、大きな声で叫んだ。
「そういうことはわかりません!でも…」
ついに秋帆が反撃に出る。そして黒川に異変が起こる…?
異変
「ふん…」
黒川は、短く鼻から息を吐いた。
― これだからバカは困る。
負けるのが分かっていてもなお、往生際悪く噛みついてくる。最後まで諦めないなどという、小学校時代の教えでも引きずっているのだろうか。
呆れてものも言えない、という感覚を黒川は久々に思い出した。
「君は視野が狭い。若いというのもあるが、圧倒的に知識と想像力が足りない」
面倒になった黒川は、淡々と告げる。同時に、次に雇うべき秘書のレベルが見えてきたとも思った。
賢過ぎても、バカ過ぎてもダメだ。前任の女と目の前にいる秋帆の、その間に収まる者を今度は雇えばいいのだ。
どうすればそのような人材を雇うことが出来るだろうか。黒川は、トントンと机を指で叩きながら考え始めた。
しかしそれを、またもや秋帆が遮った。
「私は、黒川さんに会ってよかったと思っています」
一定のリズムを刻んでいた黒川の指が止まる。
ここに来てなにを言い出す、と思っていると秋帆はそのまま言葉を続けた。
「私は、自分に自信がなかった。何もかも中途半端な、そんな自分が嫌だった。でも、黒川さんが拾ってくれたおかげで、自信が持てたんです。
それに、私がこれまで見たことがなかった、経験したことがなかった世界を見せてくれた。感謝しています」
― そりゃそうだ。
黒川は、秋帆の震える声にも何も感じなかった。良い報酬を与え、勘違いさせて利用することが目的だったのだから、当然だ。
「そしてそれは、私だけじゃないはずです。黒川さんに感謝して、黒川さんを尊敬して、黒川さんと一緒に仕事をしたいと思っている人がたくさんいます」
この予想外の言葉に、黒川は首をかしげて秋帆を見た。恐怖のあまり急に媚びてきたのだろうか?しかし秋帆のこれまでの様子から、そんな余裕があるようにも見えなかった。
「…なぜそう思う?」
「だって、それを調べるのが仕事でしたから。私には、社員の皆さんが嘘をついているとは思えません」
そして秋帆は、ゆっくりと深呼吸をしてから続けた。
「結果を出せば評価してくれる。全力で仕事に打ち込める環境を作ってくれている。
これらは、社員からヒアリングしたものですが、私もそう思っています。
私には、経験も知識も足りません。だから、会社の経営も、ビジネスについてもまったく分かりません。
そういう話はついていけなかったけど、黒川さんの良いところは、他の社員と共有することができました」
「だから何だって言うんだ…」
平静を装って言ったつもりだが、なぜか声が震える。黒川は、自分の中に起きた異変を感じ取った。
― どうしたんだ。
ドクドク。やけに心拍数が速くなり、手にはじんわりと汗がにじんでくる。どうにか会話の主導権を自分に戻そうとするが、言葉が出てこない。焦りばかりが募っていく。
そんな黒川に対し、秋帆は容赦なく言い放つ。
「人間には、ダメなところもあれば良いところもある。これって、お互いさまじゃないんですか?
否定されたからって、あなたのすべてを否定しているわけではない。全部を肯定されなくちゃ、ダメですか?」
― 当たり前じゃないか。そうじゃないと…。
不意に、封じ込めてきた記憶がよみがえり、喉元に熱がこみ上げる。うっと、吐き気を堪えるのに精一杯で、言い返すことができない。
― 黙れ、黙れ…。
そう念じるも、秋帆には届くことはなく、さらに続けた。
「それに、肯定するのにも理由があるし、否定するのにも理由があります。
相手の意見を聞くことも、あなたにはできないんですか?」
「お前…」
ようやく振り絞って出した声で反論しようと秋帆を睨みつけた黒川は、思わず息を呑んだ。
突き刺すようにまっすぐな目。その視線は濁りがなく、まるで赤ん坊のように無垢だった。その視線に耐えられず、黒川は目を逸らした。
“黒川さんに会えてよかった” “感謝している”
― きれいごとばっかり並べやがって。
そう罵りながらも、胸が不快にざわつく。
何の計算もなく、人を信じ切った人間。黒川は、こういう人種が苦手、いや大嫌いだ。
頭が悪いからではない。人を疑わずにこれまで生きてこられた環境や、その呑気な姿が腹立たしいのだ。
まっすぐに見つめる秋帆にイライラは募るばかり。こうして、我を失った自分にも耐えられない。
「出ていけ!」
激しい怒りに任せ、黒川は大声で叫んだ。
だが秋帆は、その声に臆することもなく、机に近寄って来た。
「もし、黒川さんが方針を変えないのでしたら…。私は、ついていけません。黒川さんの言う通り、この会社を去ります」
そして秋帆は、机に退職願を差し出すと、丁寧にお辞儀をして部屋を後にした。
▶前回:24時間、社長の監視下に置かれた女。そこから抜け出すために取った、命がけの行動
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退職届を置いて立ち去った秋帆。だが、狂気に満ちた黒川が動き出す…?