『着飾る恋には理由があって』第1話、横浜流星&川口春奈の“見る”“みられる”関係性が生むドラマ

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横浜流星&川口春菜W主演の『着飾る恋には理由があって』が、毎週火曜日夜10時にTBSで放送されている。同じ屋根の下、“うちキュン”ラブストーリーとしてSNS上でも話題の本作。第1話、横浜演じるキッチンカー・ボーイと川口演じるトレンド・ガールという対照的な二人が織りなす恋のはじまりを見逃すな!

■対照的なキャラクターの描き分け

(C)TBS

インターネット通信販売の企業に勤める真柴くるみ(川口春奈)は、6時から8時までの通勤時間、12時から13時までのランチタイム、そして8時から10時までのゴールデンタイムを狙って広報担当として忙しくなくSNSの投稿を更新し続けるトレンド・ガールである。その一挙手一投足が何とも忙しないのだが、同乗するバスの車内には、そんな彼女の言動を横目に気にする人物がいる。その人物はくるみとは対照的で、スマホの画面に注視するどころか、LINEの通知を気にするわけでもなく、ただ漫然とそこにいるという感じがある。彼がキッチンカーに乗る料理人であることは直後に分かるのだが、車窓に流れる満開の桜の風景に視線を送る時、サングラスをずらして肉眼で見つめようとするあたりのさりげなさが見逃せない。SNSをリアルタイムで更新しなければならないくるみと空いた席に腰を下ろして車窓の移ろいを眺めるキッチンカー・ボーイの藤野駿(横浜流星)では、日常生活の時間の流れそのものがまるで違うのだ。

端から見ればぱきぱき働いているようにみえて、プレゼント企画の人数や打ち合わせ場所を間違えたりするくるみのおっちょこちょいな面と、駿のさりげなさが異なる性格の二人のキャラクター設定として見事に描き分けられている。さらに二人の出逢いは唐突に、車内での衝突というラブコメ的な突飛な状況設定によって決定されるあたりがまた面白い。こうしてドラマ冒頭からすでにバスに乗り合わせたこの二人のちょっとした仕草や言動でキャラクターの性格がほとんど分かってしまう手際の良い展開が、トレンディーなドラマ全体のトーンともまた調和しているのがみていて心地いい。

■共同生活という設定

(C)TBS

冒頭のバス車内場面から本作はさらに急速に展開していく。それは、社内一のトレンド・ガールを背負う毎日の忙しさによって住居の賃貸契約の継続を忘れてしまったくるみが、料理研究家の早乙女香子(夏川結衣)の自宅の一部屋を間借りすることになったことから始まる。晴れ晴れしく新居をまたいだくるみであったが、何とキッチンカー・ボーイの駿が先に間借りしていたのだ。くるみは予想外のルームシェアに戸惑を隠せない。一方の駿はバルとカレー屋を間違えられることを訂正するだけで、特に気にする素振りをみせない。しかし、実は駿はもうすでにくるみを意識し始めているところがある。香子の愛犬を抱きかかえながらくるみの部屋へ一瞥を送る何気ない表情でみせる横浜の演技がここで冴えている。

こうした唐突な共同生活という設定は、1930年代黄金期のハリウッド映画にみられるロマコメ的要素を踏襲している。 同じ屋根の下で男女が暮らせば、何かが起こらないはずがない。ドラマの展開においては好都合な状況設定であり、作劇の定石である。とは言え、冒頭のバス車内での思いがけないラブコメ的衝突や同じ屋根の下での共同生活がくるみと駿に何かしらの関係を築かせることがすでに予想はついたとしても、今のくるみは会社の社長である葉山祥吾(向井理)に密かな好意を寄せている。そのことに気付いている香子が想いを伝えるようにアドバイスすると、意外にも祥吾の方から路面店出店が成功したら一緒に桜を見に行こうという思いがけない誘いを受ける。くるみと同乗したバスの車窓から駿がみていたのも桜であった。この桜がドラマ全体を貫いて意味するものとは一体何だろう。

■“見る”ことと“見られる”こと

(C)TBS

犬の散歩途中、くるみはまたからかわれると思いながらも駿に社長とのことを相談する。しかし駿は意外にもこう言い放つ。「携帯の中に答えないね。桜の木の下でその人をよく見てさ、決めればいいんじゃない?」と。真っ当な言葉である。インフルエンサーであるくるみがSNSを更新すれば、多くのフォロワーが注目し、数え切れないコメントを寄せてはくる。その意味でくるみは徹底的に“見られる”側の存在であり、“見る”側の存在ではない。しかしその見るという行為の主体性がいかに大切なことであるのかと駿はここで問いかけようとしている。人は見られることよりも自ら見ることによって大切なことに気付かされるものだからである。

路面店出店当日、社員一丸となって客たちを迎え入れるが、社長である祥吾の姿が見当たらない。実は祥吾が昨晩取締役会で社長を退任したことを知り、くるみは衝撃を受ける。そんな事情を知る由もない客たちがくるみを取り囲み写真を求め、事情を知る香子や同僚たちは心配するように彼女を見つめる。ここでも彼女は見られる存在としてある。では、彼女は何を見ていなかったか。それは、物理的な何かというよりも、自分ではない相手の心である。確かに、祥吾というカリスマ的存在に昔から憧れて入社したくるみは、これまで祥吾に尽くしてはきた。しかし路面店出店前日に祥吾に呼び止められたくるみは、彼が覗かせようとした心の奥を見つめることが出来なかった。事実、路面店から帰社するくるみが祥吾の隠れ家に彼の姿を見つけられず、ひとり寂しく傷心のまま今年初めてみた桜の木が、あってないような朦朧とした光景でしか目には映らない。くるみがはっきりと自分の目でみているのは、SNSを更新し、チェックするためのスマホの小さな画面でしかないのだ。そこに愛があるのかと聞かれたら、駿に限らず当然誰もがないと答えるに違いない。

人が誰か相手と愛を確かめ合えるのは、見ることと見られることの相互の交換と繰り返しであると、筆者は思う。涙の夜、駿にお裾分けしてもらったカレーを頬張るくるみ。悲しみが明け、気持ちを新たに出社すると前から犬を連れた駿が歩いてくるのが見える。見られることだけでなく、見ることを知った彼女は、同じ屋根の下で暮し始めた彼特有の表情に心動かされるのだった。

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  • 6/17 21:00
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