フェミニズム本を作った男性編集者に感じた、“違和感”の正体

「なんだか、女って生きづらい……」――。そんな漠然とした違和感、不公平感を抱いたことはありませんか?

『発達障害グレーゾーン』の大ヒットで知られるライター・姫野桂さんが、自身のさまざまな“生きづらさ”をつづった初エッセイ『生きづらさにまみれて』を刊行しました。本書では、30歳で発覚した発達障害や、コロナの影響でアルコール依存症になったこと、仕事関係者から“都合のいい女”にされてしまった体験などが赤裸々につづられています。

◆“フェミニズムの話”に気が重くなる理由

 日本女子大学出身の姫野さんは、女性学の講義で「フェミニズムとは女性が男性と同じ権利を持つために世に出ていくこと」と学んだそう。卒業した今でもフェミニズムに関心がある一方で、「本音を言うと、フェミニズムの話をするのは気が重くなる」とも語ります。

 性被害を訴える女性がいると「誘うような格好をしていたのではないか」「ハニートラップなのではないか」とセカンドレイプを受けてしまうような、あまりにもツラい現状が、日本社会にはあるからです。

 今回はそんな姫野さんが、フェミニスト本を手掛けた某男性編集者に話を聞きました(以下、『生きづらさにまみれて』より抜粋、再編集)。

◆元ホモソ編集者がフェミ本でヒットを飛ばすまで

 私と同い年でフェミニズムをテーマにした本の編集を手がけている男性編集者の原口翔太さん(仮名・31歳)がいる。フェミ系の本を同い年の男性が編集している。まずそのことに興味がわいた。彼は昔から男女の権利について考えていたのかと思いきや、意外な変遷を語ってくれた。

 原口さんは男子校出身で、ホモソーシャル的価値観のド真ん中にいたという。中学の頃はエロ本の回し読みをし、誰かが若い女性教師をからかうのを「あ〜面白いなぁ」という感覚で見ていた。そんなノリのまま大学に進学したら、語学系の大学だったこともあり、学生の8割が女子だった。そこではとにかく女子たちに怒られた。「きちんと風呂に入れ」「服装がだらしない」「遅刻するな」といった理由だ。男性同士だったら「そんな細かいこと気にすんな」となるので、当時は「うるさいな」と思っていた。

 学生時代の友人の結婚式に参列し、ホモソなノリのままの友人の姿を見てしまうと、どんなに良い奴であっても、今の彼には「人の顔面を踏みつけても平気な人たち」に見えることもある。でも、そこで職業上フェミっぽい振る舞いをすると、友人たちからは自分が女性の味方をしているように見えているんだろうなと、微妙な心境になるという。そしてぼそっと「僕も昔はホモソのノリを盛り上げる側だったんですけどね……」と付け加えた。

 原口さんがフェミニズムに興味を持ったのは偶然だった。フェミニズムというジャンルは知っていたが、それが自分に関係してくることとは全く思っていなかったという。面白い書き手を見つけ、その人のフェミニズムに関する原稿を読んでいると、驚くことが多く引き込まれた。

 そしてこれは仕事上のコンテンツとして成り立つのではないかと思った。その予想は的中し、彼が手がけたフェミニズム本はかなり売れている。この本の編集作業を通じて、女性は仕事が終わった後にデートや遊びに行く際に一度着替えるということを初めて知ったそうだ。

 男性だったら仕事帰りにスーツのまま遊びに行くが、なぜ着替えるのか訊いてみると「職場に本気の服を着て行って会社の同僚男性から論評されるのが嫌だ」という。原口さんも「そのTシャツダサい」などと言われたら確かに嫌だがそこまで気にしないと思う、と。その感じ方に男女で差があること自体が面白いとのことだ。

◆「あのとき、あの女性に嫌な思いをさせてしまった」

 職種にもよるが、女性は職場において「オフィスカジュアル」を強いられる傾向がある。私も会社員時代、私服は少しロリイタっぽい甘めの服装を好んでいたが、仕事着としては 主にGUで安くて無難な服を買って着ていた。

 当時ヴィジュアル系バンドの追っかけをしていたので、仕事後にライブに行く際は予め着替えを持って出社し、仕事後、お気に入りのワンピースに着替えていた。私の場合、元々好きな服装が事務職としてはそぐわない格好だったので自重しており、男性からの論評は考えたことがなかった。

 でも「同じ環境で働く上で、男性からの論評を気にしている女性がいること自体、男性に権力がある証だ」と原口さんは主張する。女性は住む場所も安全面を考慮しないといけないし、服装も男性の目を気にして仕事後に着替えるし、化粧品や生理用品にもお金がかかる。

 一方で多くの男性は弱者になったことがない。でも、老人になると誰でも弱者になる。だから「弱者について理解するなら、フェミニズムを学ぶことが唯一の手段だ」と原口さんは思ったという。そして、自分が今までパワーのある側にいたことに気づいた。「あのとき、あの女性に嫌な思いをさせてしまったな」と思うことが今でもある。

◆男性の方が構造上、権力を持っている

「『茹でガエル』って言うじゃないですか。熱湯の中に放り込まれたカエルはすぐに逃げ出して助かるけど、じわじわと低温で温められて茹でられていったカエルは自分が苦しんでいることに気づかないまま死んでしまう。権力を持っている男性の場合、僕も含め、自分が今苦しいということにあまり気づけないのではないかと思うんです。一方、女性は悲しいことに子どもの頃から抑圧される環境にあるので、自分にかかっている圧に気づきやすい」

 男女関係で男性の方が構造上、権力を持っている。原口さんにそう指摘されるまで、それが当たり前過ぎて気づいていない自分がいた。偶然だが、今まで私の仕事相手は男性が多かった。ライター自体は女性の方が多いように感じるが、多くの編集者やクライアントは男性、しかも40代以上の中高年だった。

 恋愛の指南本やモテ系の記事を読むと「男性のプライドを傷つけないような振る舞いを!」「些細なことでも褒めるのがモテへの近道☆」といったことが書かれている。これらのアドバイスは明らかに、男女のパワーバランスにおいて女性が下であることを表している。

 個人的に恋愛相談をした男性から「『会う時間を作ってほしい』とか、プレッシャーをかけるようなLINEを送るのはNGだよ」と言われたこともあった。そのときは男性ってどれだけプレッシャーに弱いんだ? と若干呆れてしまった。

◆猛烈に膨らむ「男に勝ちたい」という欲求

 原口さんの話を聞いて男女関係のアンバランスな構造に気づいてしまった途端、私の中で「男に勝ちたい」という欲求が猛烈に膨らんできた。仕事でもっと成功したい。女だけどもっともっと稼げるということを証明したい。それと同時に「今、令和だよな。いつの時代の女性の話だよ。現代はウーマンリブ活動が行われていた時代なんかじゃない」と思った。

 2019年の東大の入学式で祝辞を述べた上野千鶴子氏は、男女不平等について取り上げた。それに喝采する人がいる一方、「わざわざめでたい日に説教するなんて」と非難した人もいた。賛否両論が巻き起こった祝辞であったが、なぜ東大がこのタイミングで上野氏を呼んだのかを考えると、現代社会の歪みを看破した東大側の策略なのではないか、と思う。

 原口さんの話を聞いていると、彼にとってフェミニズムは商売のネタであり、彼自身はフェミニストではないと感じた。原口さんは今でも、バラエティ番組などで女子アナの女性性をネタにしたいじりを観てつい笑ってしまう自分に、「あ、今俺笑ってた」と気づくことがあるという。フェミニズムに出会って完全に生まれ変わったわけではなく、まだ自分の中にホモソ的な要素は潜んでいる。フェミニズムを理解したというより、権力の所在に敏感になったんだろう、と。同世代だとこのような感覚は人それぞれなのかなと思うが、歳下くらいになるとまた変わってくると思う、とも語った。

◆「権力を持ちたくない」は責任を放棄することでもある

 確かにタレントのりゅうちぇる氏やkemio氏らのおかげで、若者の間で多様性や人権意識が受け入れられたように感じる。しかし同じ若者でも、セクハラをネタにした挙げ句、それを一部のインフルエンサーたちがホモソ的なノリで楽しむ地獄絵図ができあがってしまったレペゼン地球のDJ社長の炎上騒動のように、二極化している。

 原口さんは自身の中にまだ息を潜めている加害性のある男性性を恐れてか、「権力を持ちたくない」と語る。権力はできるだけ手放していきたい。でも、仕事柄、権力を持っていた方が本を売り出すときに有利だ。仕事面では権力を持ちたいが、権力を持つと誰かを嫌な気持ちにさせてしまうこともある。しかし、自分も無傷で誰も傷つけないでいることはあり得ない。

 一方、プライベートでは権力を持ちたくなさ過ぎて「もっと考えて」と、同棲中の彼女に怒られることがあるという。権力を持たないということは同時に、責任を放棄し、思考を停止させることでもある。当時、原口さんカップルは引っ越しを予定しており、物件を探しているところだったが、彼女ばかりが物件探しをしていたため怒られたそうだ。

◆元ホモソ編集者の発言に感じた、違和感の正体

 当初私は「男性のことをもっと知れば女性も生きやすくなるのではないか、だから男性学を学ぶべきではないか」と思っていたが、原口さんはこう続けた。

「確かに、男性だから稼がないといけないという男としての圧は感じていますが、女性が男性のことを知るより、男性が女性の生きにくさを見つめた方が楽なんです。男性性の押し付けから逃れるための一番良い方法は、女性のしんどさを取っ払うことです。そうすると男性の負担も軽くなってくるし、社会全体のためになる。男性が男性の苦しさを解決しようとすると、どうしても自慢話などの競争になってしまうので実はすごく難しい。

 これはある種の逃げなのですが、自分自身の苦しさに向き合いたくないんです。多分僕は一生男性性や男性らしさから逃れられないから、男性学は存在するべきだと思います。でも僕は、自分の苦しさを解放できない代わりに、他の人を解放する手伝いができるのなら、そっちのほうがマシです」

 なるほど、無理して男性を理解する必要はないのか、と思ったが、ちょっとした違和感が残った。その違和感の正体を紐解いてみると、原口さんは生きづらさから逃げるために楽な方法を選ぼうと、女性任せにしている可能性がある点だ。いや、完全に任せているというわけではなく、「手伝い」という名目で女性の言動を何も考えずに受け入れているだけなのかもしれない。

 過去、ホモソ界にどっぷり浸かっていた原口さんがフェミニズムについて考えるようになった変遷のギャップは大きくて、純粋に面白い。目の付け所も頭の回転も良いため、本も売れているのだと思う。要は、フェミニズム的な思考と、手放したい男性性のバランス感覚が絶妙なのだ。

 なぜここまで女性が男性に気を遣わないといけないのか、男女の構造を気づかせてくれた原口さんに感謝したい。私はいちいち男性の顔色をうかがわなくてもいいのだ。しかし、原口さんはある意味特殊な例だとも言える。そして彼の話を聞いて、改めて自分は「うっすらフェミニスト」なのではないかと思えてきた。

<文/姫野桂 構成/女子SPA!編集部 撮影(著者近影)/Karma>

【姫野桂】

フリーライター。1987年生まれ。著書に『発達障害グレーゾーン』、『私たちは生きづらさを抱えている』、『「生きづらさ」解消ライフハック』がある。Twitter:@himeno_kei

2021/6/18 15:45

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