「常に己の身を律し続けた」東海林のり子の20年間のリポーター人生

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―[職業・芸能リポーター]―

◆<東海林のり子・第5回>

 阪神淡路大震災の現場を経て、東海林のり子は事件リポーターからの引退を決めた。このときの取材で受けた喪失感は、それまでのどの現場よりも大きかった。そして、「私たちが伝えられることは何なのか? テレビは何をできるのか?」を自問自答した結果、導き出したのが「引退」という決断だった。

「40歳のときにリポーターになって、60歳のときにリポーターをやめました。あっという間の20年間だったけど、常に真摯に事件や災害に向き合ってきました。夢中で仕事してきました。精神的に辛いことはたくさんあったけど、仕事はどんどん面白くなってきて、ある頃には『もしかしたら、自分にやれないことはないんじゃないかしら?』という変な自信も出てきて……。あっという間の20年間でしたね」

 いつ現場に呼ばれるかわからない。事件にも、葬儀にも対応できるように、常に黒い服を着て、カバンには数珠と清めの塩をしのばせていた。自らが報じる立場であるからこそ、常に生活を律するように心がけていた。各局のリポーターたちの生きざまを描いた『ワイドショー物語』(柏木純一/毎日新聞社)には、57歳当時の東海林のこんな言葉が紹介されている。

「私たちの仕事は言ってみれば他人のことをああだ、こうだ、と言うようなもの、それなのに、そう言っている本人が、例えば、お酒、異性、おカネ、などでトラブルを起こすということはリポーターとして資質に欠けると思います。ですから、私の場合はお酒を飲んでも決して醜態は見せませんし、不倫もしません。(中略)日常的に己を律していなければいけないのです」

 そして、こんな言葉が続いている。

「本人は気がつかないつもりでも、テレビの画面には生身の姿が映し出されてしまいます。特にそうした隠れた面を女性の視聴者は厳しく見抜きますからね」

 改めて、東海林は言う。

「自分の身を律するのは当然のこと。そして、倒れちゃいけないということもずっと心がけていました。特に何か健康法を実践していたわけじゃないけど、『いつでも、すぐに現場に駆けつけなくちゃ』という思いがあったから、ずっと健康で過ごせたんだと思います。リポーターをやっていた20年間、風邪ひとつ引かなかったから。やっぱり、勢いもあったし、仕事に対する熱意もあったからね」

情熱とともに駆け抜けた、あっという間の20年間だった。

◆現在のワイドショーに対するある不満

 現場に出ることはなくなったが、86歳となった現在でも、ラジオパーソナリティーの仕事を中心に、テレビやネット配信、講演会など精力的な活動を続けている。そんな東海林の目に、現在のワイドショーは、そしてリポーターたちは、どのように映っているのか? 質問を投げかけると、意外な言葉が飛び出した。

「もう、ワイドショーは見なくてもいいんじゃない?」

 その強い口調に驚きつつ、この言葉の真意を尋ねる。東海林は普段の穏やかな口調に戻っている。

「昔のワイドショーは、ニュース番組、報道局、報道記者たちが見落としたこと、掬いきれないことを埋めていたと思うんです。だから、私たちリポーターは現場に行って、彼らが見落としたものを一生懸命リポートしました。でも、今はテレビなのに画(え)が見えないでしょ……」

 テレビなのに画が見えない――。東海林の言葉はさらに続く。

「今のワイドショーは現場に行かずに、スタジオからパネルで事件を解説していますよね。時代とともに取材方法が変わるのは必然なのかもしれないけど、私は納得はできないです。それじゃあ作っている方も、見ている方も熱くなれないでしょ。熱くなるのは、誰かが失言したときぐらい(笑)。やっぱり、私は現場が一番だと思っているので……」

 現在のワイドショーでは、『週刊文春』をはじめとする週刊誌や、新聞各紙の記事を引用したり、TwitterやYouTubeなどのSNSを紹介するパネルを多用しながら番組が作られることが多い。時代が変わった。視聴者の志向も変わった。それでも、不変のものがある。東海林はそう考えている。

「携帯電話の普及もあって、今は《映像・視聴者提供》というものが増えているでしょ。でも、それじゃあ熱くなれないのよ。私たちの頃はカメラマンに対して、(アンタ、何で撮れなかったの? もっと早く行けば撮れたでしょ)みたいな言い争いはしょっちゅうでした。それぐらい苦労して撮ってきたからみんなが熱くなれたし、視聴者にも届いたと思うんです」

◆「生まれ変わっても、リポーターになりたい」

 さらに、東海林は現在のリポーターたちについても言及する。

「今のリポーターたちはかわいそうだと思いますよ。だって、現場に行くことができないんだもの。現場に行かずに、材料だけでしゃべっているでしょ。あれはかわいそうですよ。それに、今はいろいろ取材規制も多いし……」

 個人情報保護法が制定され、プライバシー侵害に対する意識は依然と比べればはるかに高まっている。かつての取材方法は通用しない。それでも、テレビの可能性に期待する部分もある。

「テレビには、視聴者が期待するもの以上のもの、事件の本質に迫るもの、もっと先の先を見せてほしいという思いがあります。テレビにはそれができると思うから。今の状況下で、どこまで踏み込んでいいのか、どこまで報じるかというのはとても難しい問題だと思うけれど……」

 かつて、「報道の自由」の美名の下に、行き過ぎた取材が問題になったこともある。センセーショナルで、過度に煽情的な報道スタイルが問題視されたこともある。その一方で、東海林にとっても印象深い「金属バット両親殺害事件」や「女子高生コンクリート殺人事件」など、相次ぐ少年犯罪のリポートを通じて、少年法改正議論を喚起する契機となったこともある。

「昔も今も、取材の難しさは変わらないと思います。個人的にはどこまでも踏み込んで取材したいという思いがありました。放送はできなくとも、私だけは見ておこう。そんな思いもありました。テレビでは穏やかな映像が流れているけれど、本当は視聴者のみなさんが想像する以上の凄惨なことが起こっていたんです。そう伝えたいときもありました。いつも迷いながら、現場に立っていました。取材するということは、とても難しいものです。どこまで伝えるのか、あるいはどこまで伝えないのか。そこはずっと悩むところではありますよね……」

 柔らかい陽光が差し込む昼下がりのカフェに沈黙が流れる。最後に東海林に尋ねたのは「生まれ変わっても、リポーターになりますか?」という問いだった。質問を口にした瞬間、間髪入れずに東海林も口を開いた。

「やる!」

 何の迷いも、衒いもない口調だった。

「私、この先、ワイドショーはなくなると思うの。だって今の番組は真剣じゃないから。これからはもっと真剣な番組が出てくると思うんです。この先、どんな番組が登場するのか? テレビはどうなっていくのか? それはやっぱり、現場で見てみたいという思いは強くありますね」

 最後まで、「現場」にこだわる発言で、ロングインタビューは締めくくられた。86歳となった今でも「現場」に対する思いは変わらない。東海林のり子――、やはり「生涯一リポーター」である。

取材・文/長谷川晶一 撮影/渡辺秀之

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