【名作映画の舞台裏】『自転車泥棒』(1948)

拡大画像を見る

映画史に燦然と輝く名作映画の撮影秘話やトリビアをご紹介するシリーズ。今回はイタリア映画の金字塔とも呼ぶべき大傑作『自転車泥棒』の舞台裏を振り返ろうと思います。

https://www.filmnod.com/media/picture/b/bicycle-thieves-1948.jpg

第二次世界大戦で焦土と化しながらも復興の道を歩み始めた’40年代後半のイタリアの映画界では、社会の混乱と貧困にあえぐ庶民の過酷な現実を生々しくフィルムに捉えたネオレアリスモ運動が巻き起こりました。ネオレアリスモ映画のメソッドとは、プロの俳優ではなく素人の一般市民を役者に起用し、スタジオのセットではなく実際の街中へ出て撮影し、今を生きる市井の人々の生活をありのままに描くこと。その代表格がロベルト・ロッセリーニ監督の『無防備都市』(’45)であり、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒』(48)でした。

主人公は平凡な労働者階級の男性アントニオ(ランベルト・マッジョラーニ)。長いこと失業していた彼は、職業安定所の紹介でポスター貼りの仕事にありつくものの、ある日大切な仕事道具である自転車を盗まれてしまいます。仕事を続けて家族を養うためにも、なんとしてでも自転車を取り返さなければいけない。映画では幼い息子ブルーノ(エンツォ・スタヨーラ)を連れてローマ中を探し回るアントニオの姿を追いつつ、その行く先々で出会う人々の物語を通じて、戦後を生きるイタリア庶民たちの困難と逞しさと悲哀を浮き彫りにしていきます。前作『靴みがき』(’46)でアカデミー外国語映画賞に輝いたデ・シーカ監督は、続く本作でも再び同賞を獲得。そのほか、ニューヨーク映画批評家協会賞の外国語映画賞やロカルノ国際映画祭の審査員特別賞なども受賞し、イタリア映画界の戦後復興に大きく貢献することとなります。

https://cinema.cornell.edu/sites/cinema/files/bicycle-thieves-LG.jpg

<原作とは似ても似つかないストーリー>

もともとイタリアでは国民的な二枚目映画スターだったヴィットリオ・デ・シーカ監督。しかし、終戦直後の当時は人気が低迷した上に、オスカーを受賞した監督作『靴みがき』もイタリア国内では客が入らず、収入がほとんどないような状態だったそうです。そんな彼にルイジ・バルトリーニの小説「自転車泥棒」を紹介したのは、『靴みがき』でも組んだ親友の脚本家チェザーレ・ザヴァッティーニ。そのザヴァッティーニとビジネス・パートナーだった新進の女性脚本家スーソ・チェッキ・ダミーコも加わって企画が動き始めるものの、しかし完成した映画は原作本とタイトル以外にほとんど関連性のない内容なのだそうです。

「自転車泥棒」の脚色に参加した脚本家は監督を含めると合計で7名。デ・シーカ監督には脚本家や作家、ジャーナリストなど知識人の友達が多かったのですが、イタリア経済がどん底だった当時は誰もが職にあぶれていたため、半ば口約束で「次の企画が通ったら仕事を頼むよ」と周囲に声がけしていたことから、結果的に大勢が集まることとなってしまったのだそうです。ただし、主導権を握っていたのはザヴァッティーニとチェッキ・ダミーコ、そしてデ・シーカ監督の3人。毎朝全員がザヴァッティーニの自宅へ集まって脚本会議を行ったものの、やはり人数が多過ぎたせいかなかなかまとまらなかった。そこで、「自分たちが描きたいのは今現在のローマとそこに生きる市民の生活だ」と考えたデ・シーカとザヴァッティーニは、映画に登場させたい場所や人々、物語を探し求めてローマの街を歩き回ったのだそうです。そこから生まれたのが映画版『自転車泥棒』のストーリー。そのため、原作本とは似ても似つかない作品となってしまったわけです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6c/Ladri_di_biciclette_(film).jpg

<理想の“顔”を探し求めたキャスティング>

本作の要となったのが、役柄のイメージに相応しい“顔”を持った俳優を探し出すこと。『靴みがき』がアメリカで成功したおかげで、ハリウッドからの資金援助を得ることとなったデ・シーカは、当初は主人公アントニオ役にヘンリー・フォンダやケイリー・グラントなどのハリウッド俳優の起用も考えたそうですが、しかし「プロの俳優に労働者階級の庶民を演じることは出来ない」と考え、一般の素人の中から探すことにします。しかし、なかなか決め手となる人物には出会えなかった。そんなある日、息子ブルーノ役のオーディションを行っていたデ・シーカは、子供の付き添いで会場に来ていた父親ランベルト・マッジョラーニに注目します。監督によると、マッジョラーニの歩き方や佇まいが思い描いていたアントニオ像そのものだったとのこと。町工場の作業員だったマッジョラーニは、本作のアントニオ役で一躍有名人になったものの、撮影期間中に務めていた工場が経営不振に陥ったことから解雇され、映画俳優としてのキャリアも上手く行かなかったため、その後は不遇な生活を送ったのだそうです。

一方、息子ブルーノ役を演じたのが撮影当時まだ8歳だったエンツォ・スタヨーラ。ある日、小学校から帰宅する途中で車に付けられていることに気付いたスタヨーラ少年。当時のローマは治安が悪かったため、家まで走って逃げたという彼ですが、実はその車に乗っていたのがデ・シーカ監督だったことを後から知ったそうです。その翌日、近所で映画の子役オーディションが行われていると聞いたスタヨーラ少年は、興味半分で会場へ見物に行ったところ、それが『自転車泥棒』のオーディションだった。後に彼は、「恐らくデ・シーカ監督は僕が近所に住んでいることを知っていて、会場に来ることも予測していたのだろう」と語っています。野次馬の中にスタヨーラ少年を発見したデ・シーカ監督は、まっすぐこちらを見ながら「彼で決まりだ」と言ったのだとか。思いがけない展開にスタヨーラ少年はビックリしたそうです。

ただし、実は同じオーディション会場でエンツォ・セルシコという少年も選ばれていた。恐らく、デ・シーカ監督はどちらにするのか決めかねていたのでしょう。およそ1カ月間に渡ってリハーサルが行われ、最終的にスタヨーラ少年がブルーノ役を演じることに。落選したセルシコ少年にはギャラの代わりとして自転車がプレゼントされたのだそうですが、そもそもオーディションを受けるつもりもなかったスタヨーラ少年は、ブルーノ役よりも自転車の方が欲しかったとのこと(笑)。これをきっかけに売れっ子の名子役となった彼は、ハリウッド映画『裸足の伯爵夫人』(’54)など15本近くの映画に出演しましたが、思春期に差し掛かってオファーが激減したことから俳優業を引退しています。

また、アントニオの妻でブルーノの母親マリアを演じたリアネッラ・カレッリの本業はジャーナリスト。当時、詩のコンクールで優勝した彼女は、知人の紹介で脚本の仕事をするため、デ・シーカ監督と面接することになっていました。で、指定された面接場所へ行ったところ、なぜか大勢の若い女性たちでごった返している。そう、そこはマリア役のオーディション会場だったのです。係員に事情を説明したリアネッラでしたが、しかしデ・シーカ監督は忙しいので会えないとの一点張り。すると、そこへ偶然デ・シーカ監督が通りかかったため声をかけたところ、その場でマリア役に決まってしまったのだとか。困ったリアネッラは「私は女優じゃなくてジャーナリストですから」と断ろうとしたものの、デ・シーカ監督から「映画界が君とその顔を必要としている。僕には君が必要なんだ」と説得され、思わずオッケーしてしまったそうです。

参考資料:ドキュメンタリー映画「Working with De Sica」/回顧録「Ladri di Biciclette」(リアネッラ・カレッリ著)

関連リンク

  • 5/31 23:43
  • 映画board

スポンサーリンク

記事の無断転載を禁じます