条件を下げ、35歳で結婚した下落合に住む女。彼女に待ち受けていた、予想外の新婚生活

「やめるときも、すこやかなるときも、あなたを愛する」と誓ったはずなのに…。

“やめるとき”は、愛せないのが現実。

思い描いていた結婚生活とは程遠く、二人の間に徐々に生じ始める不協和音。

「こんなはずじゃなかった」と不満が募ったとき、あなただったら、この結婚生活やめる?それとも…?

▶前回:深夜2時のベッドルームで、夫の秘密を暴く28歳妻。彼女を不幸に陥れた“指紋認証”の罠

Vol.3 下落合妻の憂鬱


【今週の夫婦・結婚1年目】
夫:洋輔(30)不動産会社勤務
妻:菜々子(35)大手食品メーカー受付


「すみません、やっぱりレジ袋もお願いします」

通勤カバンにいつも入れているはずのエコバッグが見当たらず、私は、慌てて会計に有料のレジ袋を追加してもらう。

ピーコック目白店。仕事終わりに食材を買うため、ここに寄るのが、結婚してからのルーティンだ。

『洋輔:帰宅中!菜々ちゃんは?』
『nanako:ピーコック』

夫からのLINEに、一言で返信する。

35歳の私が結婚したのは、半年前のこと。

長いこと実家暮らしだったから、生鮮食品を自分で買ったことはほとんどなかった。スーパーに行くとすれば、ワインやチーズ、輸入のお菓子や紅茶を買う時くらい。

実家がある青葉台には東急スクエアがあるし、少し歩けば成城石井と明治屋がほぼ隣接しているから、そういったものを買うのにまったく困らなかった。

今住んでいる下落合は東京で、新宿区だ。なのに、そういう高級スーパーがほとんどない。

― なんとなく、気分が上がらないんだよね…。

自分でもバカらしいと思うのだが、おいしいピノ・ノワールとエポワスチーズさえあれば、私は幸せなのだ。

買おうと思えば買えるのだが、節約を意識しながら購入している自分がいて、それに嫌気がさしている。

ワインとチーズくらい値段を見ずに買いたい、というのが私のささやかな願望だ。

菜々子の婚活開始時期が遅れた切ない理由…

33歳からの婚活


『洋輔:じゃあ、ビールもお願いしていい?』

夫からLINEが届く。

既にお会計を終えていたが、既読にしてしまったので、私は仕方なくお酒売り場へ戻った。




私が婚活を始めたのは、世の女性が結婚を焦り出す年齢よりだいぶ遅いであろう、33歳の時。

その頃の私は失恋を引きずり、職場と家との往復を繰り返すだけの平凡すぎる毎日を過ごしていた。

29歳の時から4年付き合った年上の元彼は、赤坂で心療内科を経営している精神科医だった。彼には、別居している妻がいて、離婚調停中だから別れたら結婚しよう、と言われており、私は素直にその言葉を信じていた。

でも、一向に離婚する気配のない彼に痺れを切らし、不毛な恋に終止符を打ったのは、私の方だ。

その恋愛に心底疲れ、しばらくは、男性との出会いを自ら求める気力がなかった。それに、ひとりっ子だし、私が家にいた方が両親も喜ぶはず。そう思い、自ら結婚を遠ざけていた。

でも…。

「私たちもずっと生きてるわけじゃないし。菜々子、生涯ひとりなんて寂しいわよ」

ある日の夕食で、母に言われた。

「そうだぞ。タロだってそろそろ寿命だしな」

白内障で目が白く濁ってしまった愛犬を撫でながら、父も賛同する。

両親は私が思うより遥かに強く結婚を望んでいることを、その時初めて知ったのだ。

そうして私は、婚活することにし、友達の間で話題になっていたマッチングアプリに登録した。

相手の条件は、ある程度稼いでいて、年の差は2〜3歳。背が低いのもちょっと…。そんなふうに相手を振り分けていたが、なかなか良い人には出会えない。

職業柄、華やかな服装や化粧を意識していたし、容姿にも自信がある。だから、それほど高望みをしていたつもりはない。

しかし、私の年齢のせいだろうか。

その条件で「いいね」をくれる人は、色黒で眉毛が細く、髪はツーブロックの職業不明系。もしくは、プロフィールに女性に求めることを延々と羅列する、変人ばかり。

そこで、求める年収を700万円まで下げた。更に年齢の幅も広げ、身長も167cmまで許容した。

そうして、ようやく出会ったのが今の夫、洋輔だった。

無神経な夫に、菜々子がブチ切れ。家を飛び出すが…。

もうビールは買わない


「ただいま~」

食材の入ったビニール袋を二つ抱え、私は帰宅した。

「菜々子、おかえり。ビール買ってくれた?」

洋輔が洗面所から叫んでいる。

私は、「買ったよ」と答えながら、頼まれたそれをテーブルに置いた。

「え…これ、発泡酒じゃん。金曜日だしビールが飲みたかったなぁ。しかも2缶じゃ足りないよ~!」

笑いながら文句を言う洋輔は、既にシャワーを浴びてパジャマ姿だ。

いつもは、笑いながら「ごめん」と言って争いを避けるようにしているが、今日はできなかった。

「……あのさ」

「ん、どした?」

「食費は、私が払ってるんだよ。しかも、あなたのお酒代が一番の出費なの、わかってる?それに、6本入りは重くて持って帰るの大変なんだけど。あなたはそういう気遣い、持ち合わせてないわけ?」

そこまで言ってしまうと、アドレナリンのせいで興奮が収まらない。

洋輔は目を丸くして、キョトンとしている。結婚してから一度も彼に対して怒ったことがないから、驚いているのだろう。

しかし、もう止められない。

「正直、独身時代の方が優雅な生活を送れていたよ。でも、あなたと結婚すると覚悟を決めたから、色々我慢してきたけど…。せめて、お酒くらいは自分で買って!」

そこまで言うと、私は外へ飛び出し、あてもなく歩き出した。

洋輔の年収720万円の手取りは、500万強。月収にすると、40万円足らず。だから、生活にかかる出費すべてを夫負担にはできず、仕方なく私も出している。

家賃と光熱費は夫である洋輔が支払い、妻の私は食費担当だ。

食費以外にも生活用品や、毎月の自分の携帯代も私は支払っているため、自由に使える金額はかなり少ない。

― これが、私が求めていた“結婚”なの…?

高望みできる身分じゃないことはわかっている。元カレと付き合っていた時の生活水準とは言わない。でも、せめて実家の生活水準くらいは、求めてもいいだろうと思っていた。

適当に歩いていたら、いつの間にか住宅地に入り込んでしまった。

その暗さのせいか、綺麗な三日月が鮮明に見える。スマホで撮影し、それを背景に文字を打ち込み、ストーリーに投稿する。

『まだ半年だけど、もう無理かも。やっぱり私、結婚むいてないや…笑』

すると、すぐに誰かからDMが届いた。

『俺も』

― えっ…!嘘でしょ。

それは、精神科医の元彼からだった。

どうやら“親しい友達”にだけ呟いたつもりが、間違えて全体公開にしていたようだ。急いで投稿を削除してから、改めてメッセージを見返す。

たった一言なのに、胸がきゅっと締めけられ、恋人同士だった頃の思い出が蘇り、涙が頬を伝う。

関係を終えた後も、名残惜しそうに彼からは時々連絡が来ていたが、心を鬼にして無視をし続けようやく切れた縁だ。

彼のことだ。きっと今でも離婚はしていないし、この先もするつもりもないだろう。今ここで連絡を取ったところで、明るい未来はない。


『洋輔:菜々子ちゃん、ごめん!どこ?迎えに行くから教えて』

夫からLINEが届き、ふと我に返る。

結婚に固執しなければ、元彼と別れる必要などなかった。それを選ばず今の夫と結婚を決めたのは、誰でもない私だ。

未だに独身で焦っている友人を見ると、理想とは違ってもやっぱり結婚してよかったと思ってしまうのが、正直な気持ちだ。それに、私はもう35歳なのだ。今からまた相手を探すところから始めるなんて、現実的ではない。

洋輔は、たまに無神経なところがあるが、素直で連絡もマメで、話せばわかってくれる人だ。頑固じゃないから、これから育てて行くのも楽しいかもしれない、と自分に言い聞かせてみる。

それに、相手に何かを期待したり望んだりするのではなく、副業するとか転職するとかして、自分が使えるお金を増やせばいいのだ。

― でも、ビールはもう買わないけどね!

高田馬場駅まで来たことを洋輔に伝えると、すぐに迎えに行くと返事が来た。文面から夫の焦っている姿が伝わってきて、ふっと笑みがこぼれた。


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子どもが欲しい…。34歳妻がぶち当たった壁

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