元局アナの龍円愛梨さん、都議に。ダウン症のある子がいるシングルマザーだからできること

“コロナ不況”が女性を直撃している。なかでもシングルマザーは48.4%が「パート・アルバイト等・派遣社員※」で、職を失ったり収入激減している人も多い。今回、シングルマザーの支援をしている人に話を聞きたい、とリサーチしているなかで遭遇したのが、龍円愛梨(りゅうえん・あいり)さん(43歳)だ。

 龍円さんは、テレビ朝日の元アナウンサー・記者で、2017年からは都議会議員を務める。自身もシングルマザーで、ダウン症がある長男・ニコちゃん(7歳)と暮らしている。

 障害がある子やシングマザーを支援する様々な活動をしているが、その活動を紹介する前に、まずは龍円さん自身の「これまで」を語ってもらった。

※平成28年度・全国ひとり親世帯等調査結果(厚生労働省)

◆37歳で子連れ帰国。職もお金もない…

 テレビ朝日でアナウンサーを7年、報道記者を6年やり、2011年に退社。華やかな仕事に見えるテレビ局を、なぜ辞めてしまったのだろう?

「華やかじゃないですよ(笑)。報道局のときは、凄惨な事件や事故の現場に飛んでいって取材する生活を、毎日毎日続けていました。そのうちに、亡くなった人やご遺族に思い入れしすぎて、現実の自分との境目がわからなくなって……道を歩いていても『いま事故に遭うかも』『襲われるかも』と恐怖に駆られるようになったんです。病院にいったら適応障害と言われました

 大好きな会社ではあったが、2011年に退職。パートナーと共に米国カリフォルニア州に移住し、事実婚のまま、翌々年に出産した。生まれてきたのはダウン症のある男の子だった。

 そして37歳のときに、シングルマザーになり、2歳の長男とともに帰国。日本では、シングルマザーや障害がある子と親が様々な困難に直面している現実を知った。

◆「40歳までに何もできなければ就職する」

「アメリカから帰国したときは職も貯金もなくて、実家に戻ったんです。働こうにも、ダウン症のある子を預ける保育園がなかなか見つかりませんでした。

 それで、40歳までにスペシャルニーズ(障害)のある子どもたちのために何かをしたい、それまでに何もできなかったら就職をする――と親に伝えました。都議会議員になれたのがちょうど40歳のときなので、ギリギリセーフでしたね(笑)。

 でも、帰ってきたばかりの頃は本当に不安だったし、今でも夜中にふと考えてしまいます。老後どうするんだろう、知的発達に遅れがある息子は自立できないかもしれない、一体私はいつまで頑張ればいいんだろう…とか。健康でい続けられるだろうか、とか。

 都議会議員はやっていて非常に意義があって、当事者じゃないと変えられないことも多数あって、本当になってよかったと思うのですが、選挙で落ちて仕事を失うかもしれない。4年に1度リストラの可能性がある仕事って、一般的に考えたら、シングルマザー向きじゃないですよね(笑)。

 都議会議員としての仕事をしっかりとまっとうしたら、いつかはできれば定職も持ちたいなとは思っているのですが……不安はいつも感じています」

◆アメリカでは子どもに障害があっても困らなかった

 アメリカと日本では、ひとり親家庭や、障害がある子・親へのサポート体制が圧倒的に違うという。

「アメリカで出産をして、近くに親戚や頼れる人がいるわけでもないし、最初は心配でした。でも、アメリカはサポート体制や療育(障害のある子の発達支援のこと)が素晴らしくて、不安なく育児ができましたね」

「アメリカでは、IDEA(個別障害者教育法)などの法律があって、障害がある子たちにどういうサービスをするか、法律で決まっているんです。私の場合も、公的機関に『子どもにダウン症があります』と一本電話をかけたら、すぐケアマネジャーがついてくれました。その人が家に来てくださったり、どういう支援が必要かを考えてくれたり、療育や医師につないでくれたりします。

 しかも、並走型のサービスで、生涯付き添ってくれるんです。その時期にあったサービスを提供してくれるので、0歳の段階でもう入る小学校の準備が始まるような状況です。

 日本だと、療育を申し込んでから受けられるまで半年から1年待つこともありますが、アメリカはすぐに始まり、2歳の頃は週12時間の療育を無償で受けられました」

 また、アメリカだと障害児への療育分野で大学院を出たレベルのプロフェッショナルに療育を受けていた。例えば、体を動かす、言葉を促すなど、発達支援の各分野のプロフェッショナルがいて、その人たちと毎週会え、困りごとを相談できた。

◆帰国したとたん「これは大変だ!」

 ところが、日本に帰って来たとたん、龍円さんは「これは大変だ!」と悟った。アメリカでは週12時間と十分だと感じるほどの療育を受けていたが、日本では住んでいる地域によっては月に1時間しかないことを知った。

スペシャルニーズのある子どもに関する行政の支援が、日本は30〜40年くらい遅れている」と、龍円さんは語る。日本は、公的医療保険制度などアメリカより手厚い部分もあるが、障害児支援についてはまだまだのようだ。

 また、今の日本では、障害のあるなしにかかわらず、母親が困ったときに頼れる場所が少ない。

「当時、障害がある子どもを持つ親のための情報が、圧倒的に足りていないと感じました。そこで、帰国して何か一歩目をやってみようと、『DS SMILE CLASS』というコミュニティークラスのようなものを試しにやってみたんです。10人くらいで集まっておしゃべりをしたり、『アメリカの療育についてお伝えします』という会をやったり。そうしたら、私の話を聞きに徳島県や神奈川県、青森県や大阪からも来られた方がいたんです。

 ありがたかったのですが、それだけ地方には頼れる情報がないということも知りました。だって私、特にダウン症の専門家でもなく、ただアメリカでの経験を話しますというだけの会に、0歳のお子さんを抱えて飛行機に乗ってホテルを予約して参加される方がいるんです。『初めて安心して話せる場に来ました』とボロボロ泣きながら語る方もいました。

 それを見て、東京はまだいい方なんだな、地方はもっと大変なんだと気がついて、何かできないかという思いを深めていきました」

◆“いろんな違いのある人”が一緒にいて学べること

 そうした思いから、2017年、都民ファーストの会から出馬し、都議会議員になった龍円さん。日本の、遅れている障害児行政を変えたくて議員になったのだろうか。

「議員になって、体制から変えたいと思いました。以前は“アメリカみたいにしたい”と思っていたのですが、実際、都議会議員になってみると、体制を根本から変えるのはとても難しいと気づきました。今ある体制の中でどうベストにしていくか、どうベターにしていくか、苦心しているところです」

 ところで、龍円さんの長男は地域の学校の通常学級に通っている。障害のある子どもは、特別支援学校や支援学級に行くという手もあるが、龍円さんはなぜ通常の学級を選んだのだろうか。

「アメリカでは『インクルーシブ教育』といって、障害のある子もなるべくみんなと一緒に学び育つ制度になっているんです。インクルーシブ教育は、国連で採択された障害者権利条約に基づいて、世界中で主流になっています。

『万人のための教育』とも言われていて、障害がある人にとってもない人にとっても、“いろんな違いのある人”が一緒にいることが、良い影響や学びや成長があることがわかっています。

 インクルーシブ教育を進めるのは、私の政策の要になっています。市区町村によっても違って、たとえば国立市はフルインクルーシブ教育という先進的な取り組みをしていますね。一方で、まだまだ多くの自治体では、障害のある子は別の場所に分離して教育したいと考えているようです」

◆日本初のインクルーシブ公園を実現

 昨年、日本初のインクルーシブ公園が世田谷区と豊島区に誕生した。障害がある子もない子も、みんなが楽しく遊べる公園だ。龍円さんが都議会に提案し、完成にこぎつけたのだ。

「“みんな同じ”なのが当たり前、っていう社会は、それと違う人にとって、すごく生きづらいですよね。だから、子どもの頃から、インクルーシブ公園で“自分とは違う人”たちと遊んで学ぶのは、とても大切だと思うんです」

 インクルーシブ公園はたくさんの親子に賛同を得ていて、今、東京都内各地、そして日本中で導入の検討が始まっているという。

 次回は、シングルマザーをめぐる龍円さんの活動について紹介する。

<文/姫野桂>

【龍円愛梨】

1977年生まれ。法政大学卒業後、1999年にテレビ朝日に入社。アナウンサー、社会部記者を経て2011年退職。同年渡米し、2013年に長男を出産。2015年、シングルマザーとして長男と帰国。2017年、都民ファーストの会から出馬し、都議になる。現職 Twitter:@airiryuen

【姫野桂】

フリーライター。1987年生まれ。著書に『発達障害グレーゾーン』、『私たちは生きづらさを抱えている』、『「生きづらさ」解消ライフハック』がある。Twitter:@himeno_kei

2021/3/30 8:46

この記事のみんなのコメント

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  • 自治体も国会も様々な個性や特色を持つ人達が代表として集まって!個々の立場と主張を表し!皆が最大限より良く生きれる社会を模索構想してくのが「民主主義社会」なのかもね!?、だから特定の立場や健常者だけが集まって会議を決めてたら危険だし!

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