松山英樹・渋野日向子…世界一になった日本人の「イイ話」列伝

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 プロゴルファーの松山英樹(29)が、邦人初のマスターズ制覇を成し遂げた。

「記録に残る日本人ゴルファーのメジャー初挑戦は、1932年の全米オープンですから、実に89年にわたる悲願。優勝パットを決めた瞬間、アナウンサーは涙で言葉が続かず、解説の中嶋常幸プロが嗚咽の声を漏らしたのが印象的でした」(全国紙運動部記者)

 松山は総理大臣顕彰の授与が決まったが、世界一になった日本人は彼の他にも数多くいる。今週は彼らの超イイ話をお届けしたい。

 まずは、マスターズを制覇したその松山の話から。彼が初めてマスターズに挑んだのは、2011年3月11日の東日本大震災の直後。東北福祉大学の学生で、まだアマチュアだった。

「松山は地元が大変なときにゴルフで渡米することに抵抗があったそうです。しかし、そんな彼のもとに出場を促す激励の手紙が相次ぎ、彼は日の丸を縫い込んだシャツを着て参加。27位という成績を残し、アマ最上位となるローアマを獲得しました」(ゴルフ誌記者)

 帰国後の松山の行動も、素晴らしかった。「こっそりと牛乳配達などをして、快く送り出してくれた被災地へ恩返ししたとか。また、プロ転向後、稼いだ賞金の一部を税金として被災地へ還元するため、住民票は仙台市に置いたままです」(前同)

 マスターズの優勝賞金は2億円超。広告契約だけで年間6億ドル稼ぐという報道もあり、松山の東北復興支援はまだまだ続きそうだ。

■各界のレジェンドたちの意外な裏話

 世界を取ったもう一人のゴルファーが渋野日向子(22)だ。19年の全英女子オープンで日本人として初優勝。日本人女性のメジャー大会制覇は、樋口久子以来42年ぶりの快挙だった。

「全米女子オープンで彼女が世界を魅了したのが、ギャラリーとのハイタッチです。その後、安全面を考えて、ハイタッチは子ども限定ということになりましたが、ゴルフファンが増える一助になればと、彼女は子どもから声がかかれば笑顔を返し、快くサインに応じています」(現地特派員)

 続いては、研究で頂点に立った日本人を紹介しよう。

「iPS細胞の研究でノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥教授(58)ですが、ノーベル賞学者の中でも異色の経歴の持ち主。医学部卒業後、整形外科医になったものの、手術が下手で他の人の邪魔をしてしまうため、“じゃまなか”というあだ名だったとか。何か医学の役に立ちたいと研究者の道を志したのが37歳のとき。手術が上手だったら、iPS細胞の研究はなかったかもしれません」(全国紙科学部記者)

 次のレジェンドは、日本のアニメの魅力を全世界に伝え、『千と千尋の神隠し』でベルリン国際映画祭金熊賞などを受賞した宮崎駿(80)。老若男女に愛される作品を、世に送り出した名監督だが、意外な逸話が。

「宮崎監督は“ファミコンはアニメの敵”と言って、スタジオへのパソコン導入に猛反対していたんです。パソコンはワープロだと思っていたので、スタッフがノートパソコンを導入したという話があります(笑)」(アニメ誌編集者)

 5月7日発売の『週刊大衆』5月24日号にはこのほかにも古賀稔彦・タモリら「世界一の日本人」の仰天エピソードを紹介している。

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  • 5/6 18:00
  • 日刊大衆

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