1920年代のドイツで誕生した究極の表現主義映画!『メトロポリス』の今なお色褪せない魅力に迫る

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フリッツ・ラングによって監督され、現在もなお「SF映画の古典的名作」として評価されている映画『メトロポリス』。1927年に公開されたサイレント映画だが、様々な手法を最大限に活用した実験的な映像は、現代の映画界においてもなお異彩を放っている。本記事では、そんな映画『メトロポリス』の魅力に迫っていく。

『メトロポリス』あらすじ(現存版・ネタバレなし)

メトロポリス 完全復元版

メトロポリス 完全復元版

1927年/ドイツ/150分

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時は2026年。高度に科学技術が発展した都市・メトロポリスでは、摩天楼に住む数少ない富裕層と地下で労働に勤しむ数多の労働者階級に二分化した階級社会が築かれていた。

そんなある日、地下の実態を知らずに過ごしていた権力者の息子であるフレーダーは、労働者階級の女性であるマリアに恋をする。彼女との出会いをきっかけに、フレーダーは今まで見ることのなかった労働者たちの過酷な現状を目の当たりにするのだった。

一方マリアは、そんな労働者たちに「バベルの塔」のエピソードを交えながら「脳」(知識を持つ富裕層)と「手」(労働者階級)を仲介する役割を果たす「心」の重要性を労働者たちに教える。マリアに恋をしたフレーダーもまた、マリアをはじめとする労働者たちにとっての「心」になろうとする。

そんな様子を危惧していたのが、フレーダーの父親であるフレーダーセン。階級社会を支持しているフレーダーセンは、旧友の科学者であるロトワングにマリアを誘拐させ、さらにはマリアに似せたアンドロイドを作らせる。アンドロイドのマリアを使って労働者たちの反抗心を抑え、階級社会を保持しようとしたのだ。

しかしそんなフレーダーセンの意図に反して、アンドロイド・マリアは労働者たちに狂乱のムードを与え、メトロポリスの壊滅を促す。ロトワングが意図していたのは、フレーダーセンへの反乱、すなわちフレーダーセンが支配するメトロポリスそのものを破壊することだった……。

芸術運動「ドイツ表現主義」の潮流が生み出した実験的な撮影技法と演出

未来都市

映画『メトロポリス』が公開から90年以上を経た今もなお映画ファンから名作として長く愛されている理由のひとつとして、なんといっても作中で次々と繰り広げられる独創的な映像手法が挙げられる。

本作が制作された1920年代のドイツでは、「ドイツ表現主義」と呼ばれる芸術運動が盛んになっていた。観客に状況をわかりやすく伝える客観的な表現よりも作品の登場人物が内面に抱えている感情などに着目した主観的な表現を重視し、既存の価値観に疑問を呈して新たな価値観へと観客を導くような作品が数多く作られたのである。『メトロポリス』以外のドイツ表現主義映画の代表作として、F・W・ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)やロベルト・ヴィーネによる『カリガリ博士』がある。

フリッツ・ラングによって監督された『メトロポリス』はドイツ表現主義の影響下にありながら、制作されたのは表現主義の時代が終わりを迎えつつあった1927年だった。しかし、『メトロポリス』にはそれまでのドイツ表現主義映画、ないしは海を越えたハリウッドの大作映画が培ってきた意欲的な撮影技法や演出技法がふんだんに取り入れられ、公開から90年以上が経過した現在においても色褪せることのない魅力を放っている。

モンタージュや多重露光を駆使し、時には「シュフタン・プロセス」と呼ばれるミニチュアを使った特撮技術までもを使用して生み出された斬新な映像は、現在においてもその独創性を失っていない。特に、アンドロイド・マリアとフレーダーセンが抱擁しているのを目撃したフレーダーがショックのあまり半狂乱になるシークエンスにおいては、多重露光やアニメーションを用いた実験的なカットが目まぐるしく切り替わるという、サブリミナル的で非常に鮮烈な印象を観客に残す素晴らしい演出と撮影が行われている。

ナチスが台頭する直前のドイツで描かれた、「支配者」と「労働者」の対立構造

近未来 AIイメージ 仮想空間

映画『メトロポリス』では、支配者たるフレーダーセンと労働者たちの対立、そして彼らを調停しようとする中立者のフレーダーの三つの軸を中心とした対立構造が描かれている。支配者に反抗し、労働者が自由を獲得しようとするシナリオはややもすれば共産主義的だ。あとわずか数年でナチス・ドイツによるファシズムが国内全体を侵していった未来を考えると、非常に興味深い物語構造を持っているといえる。

『メトロポリス』を監督したフリッツ・ラングは、彼自身がナチスの迫害対象とされたユダヤ系の監督だったこともあり、ファシズムが台頭しはじめたドイツからアメリカに亡命する。さらに興味深いことに、本作の脚本を執筆した当時ラングの妻だったテア・フォン・ハルボウは1932年にラングと離婚し、ファシズムの支持者となった。一見非常にリベラルな思想を貫いているように見える『メトロポリス』だが、作品に携わった2人は後に対照的な人生を歩むことになるのである。

『メトロポリス』の公開からあと数年で100年を迎えようとしている2021年において、『メトロポリス』で描かれたような労働者と支配者の楽観的な和解は達成されただろうか?情報技術が著しく発展する一方で、富裕層と貧困層の格差は年々広がるばかりであり、多様化する社会に抵抗する人々が差別的な活動を行うような現代社会。もしかすると、この現代社会は既に第二の「メトロポリス」と化しているのかもしれない。

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