「ベイ・シティ・ローラーズ」レスリー・マッコーエンが自宅で急死、65歳

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現地時間22日、レスリー・マッコーエンの家族が本人のツイッターを通して「最愛の夫で父であるレスリー・リチャード・マッコーエンの死を、深い悲しみを持ってお知らせします」と綴り、このように続けた。

「レスリーは2020年4月20日火曜日、自宅で急死しました。現在は葬儀の手配をしているところです。私達は大きな喪失に衝撃を受けており、プライバシーを尊重して頂くようお願いします。」

最後には、レスリーの妻と息子から「ありがとうございます。ケイコとジュウベイ・マッコーエンより」との言葉が記された。“Peco(ペコ)”の愛称で知られる日本人のケイコさんは、1978年にレスリーと知り合い1983年に結婚。1人息子のジュウベイさんを授かった。

レスリーはアルコールや薬物に溺れた時期があり、2009年にはTV番組で妻に隠れて12人の男性と浮気していたことを明かした。レスリーは生前、この件について「ペコは素晴らしい女性だ。他の女性達との浮気を許してくれたこともあったが、男性との関係に直面しなければならなかったことは、さらに辛いことだったと思う」とスコットランド版『The Sun』に語っていた。

1955年11月にスコットランドで生まれたレスリーは、15歳で学校をやめた後、最初のバンド「Threshold」に参加。18歳だった1973年に「ベイ・シティ・ローラーズ」にボーカルとして加入した。

スコットランドの伝統であるタータンチェックの衣装を着た「ベイ・シティ・ローラーズ」は行く先々で絶叫するファンに囲まれ、最大のポップ・バンドのひとつになった。アメリカや日本など世界中で人気を博し、何度も来日公演を行っている。

1975年には楽曲『バイ・バイ・ベイビー』『恋をちょっぴり(原題:Give a Little Love)』が全英シングルチャート1位を獲得、アルバム『エジンバラの騎士(原題:Rollin’)』(1974年)『噂のベイ・シティ・ローラーズ(原題:Once Upon A Star)』もチャートのトップに輝いた。

レスリーは1978年にグループを脱退。その後「ベイ・シティ・ローラーズ」はニューウェーブ路線に切り替え、「ザ・ローラーズ」にグループ名を変更した。ここ数年はカムバックツアーやライブ録音に何度か参加していた。

レスリーの突然の訃報に、SNSにはグループの全盛期からのファンによる悲しみのコメントで溢れ返った。

「ベイ・シティ・ローラーズを聴いて育ったのよ。とても悲しい。」
「英国での全てのコンサートに行ったわ。彼の声は、ファンの心の中に永遠に生き続けるでしょう。」
「10代の頃の私のハートは、あなたのものよ。安らかに眠ってください。」

「ベイ・シティ・ローラーズ」の公式Facebookは現地時間22日、「レスリーの訃報を受け、心を痛めています。妻のペコさんと息子ジュウベイさん、ご家族と友人に心よりお悔やみ申し上げます」と追悼メッセージを投稿した。

画像2、3枚目は『Les McKeown 2021年4月22日付Twitter』『Bay City Rollers 2021年4月22日付Facebook「We are saddened by the news of Leslie McKeown’s death.」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 寺前郁美)

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