歌舞伎町の象徴『クラブ愛本店』が移転 創業したホスト王「愛田武氏」とは

写真提供・愛本店

歌舞伎町が変わっていきます。コマ劇場がなくなり、噴水もなくなり……。そして歌舞伎町、いや夜の東京の象徴とも言えるホストクラブ。そのホストクラブの代名詞的な存在『クラブ 愛 本店』が、ビルの老朽化にともない6月末をもって一時閉店。店舗を移転します。

1971年頃に開店(※諸説あり。後に登場するCOO北条さんに言わせれば「wikiは当てになりません」とのこと)。芸能人たちとの派手な交流や、創業者愛田武さんの個性もともなって、一躍ホストを全国的に認知させたホストクラブの草分けです。

この移転を機に『クラブ 愛 本店』COOである北条雄一さんにお話を伺っていました。

――『愛 本店』が出来た経緯を、改めてお聞かせください。

「創業者の愛田武は、新潟から状況してフランスベッドの営業として働いていました。営業成績も1番だったらしいです。そんな時、同郷の知人にホストクラブという場所かあるから働かないかと紹介されてホストデビューしました。入店時に源氏名を突然聞かれて、とっさに当時売れていてファンでもあった歌手・愛田健二さんの名前をあやかろうと愛田にしたと聞いています。

当時は経営者本人の名前が店名になることが多く、そのまま愛という店名になりました。水商全体的に名前か名字をつけている店は昭和には多かったですね。会社名も最後に観光を付けるのが流行っていて、『愛田観光株式会社』にしたそうです。

私も昔は、なぜホストクラブなのに観光がついているのが不思議でしたが、歌舞伎町の水商の会社名は観光がつくところばかりでした。”本店”に関しても、当時”本店”を付けるのが流行っていたこともありますが、多くの店を出すのが夢だったので、はじめに出した店に”本店”と付けたそうです」

――ところで、僕と北条さんと知り合って10年くらいになります。北条さんが初めて歌舞伎町に来たのはいつ頃でしょうか。

「私にとっての歌舞伎町はアイディンティティです。人生の全てを学んだ場所、又は育ててくれた家みたいな感じです。はじめて来たのは14歳中学2年です」

――歌舞伎町は最近もスカウト狩があったり、以前より平和とは言え、やはり怖いイメージがあります。いかがでしょう。

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「歌舞伎町のイメージは現在良くありませんが、遊びに来る一般の方には安全な町です。歌舞伎町での商売のルールみたいなものがあり、それに反しない限りはあの頃のような時代にはなりません。ある意味治安が守れたのだと思います」

――過去には、ホスト店同士の争いもありましたね。

「愛田武がTVでクローズアップされはじめ、80年代に数軒くらいしかなかったホストクラブが増えて来たんです。90年代には、地方からの進出が増えて、大きなトラブルなどもあり、区役所通りを警察が黄色いテープで閉鎖したことなどもよくありました。私たち歌舞伎町地元の東京勢VS地方勢みたいな争いもありました。

地方から進出して来てめちゃくちゃな手法でやりたい放題稼いで引き上げるなんて言う店も多かったので、お客様やホストを守るための喧嘩も毎日でしたね。風林会館のパリジェンヌに毎日行ってました」

――ホストにとって愛とはどんな存在でしょう。

「全国のホストにとって『愛 本店』は聖地です。現在のホストクラブの仕組みを作り、礎を築いた場所なので。作った仕組みの中で、1番有名なのは、初めて日給を保証したこと。それまでホストは、お店に出勤すると場所代みたいなものを毎日取られていたので、お客様が来ないとお金を払いに行くだけと言う事になってしまい、お客様が付くまでもたないで辞めていくことがほとんどだったんです。有名とは言っても、一般には知られていませんし、30年以上のキャリアがある関係者しか知りません。そんな人も歌舞伎町に残っているのは10人いないですね」

――では、客にとってホストとは、『愛 本店』とはどんな存在でしょう。

「お客様にとって『愛 本店』は安全なホストクラブ。セレブや芸能人が飲んでるホストクラブ。ホストの中心で1度は行ってみたいホストの元祖という感じだと思います」

――店内の装飾が豪華ですが他のホスト店と違う点はどこでしょう。

「他店と違うところは、創設当時の言葉を使わせてもらえば装飾品が船で運ばれた【舶来品】であること。他には生バンドのステージ。ダンスホールの大理石の下に厚さ15センチのコンクリートなど、見えないところまでのこだわりですね。

何より愛田が自分で買い付けに行き、選んできた物で常に工事をしていましたので、そこが1番の違いですかね。私も買い付けに同行したこともあります。元気でいた時は常に店の成長を考えていました」

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――この内装はいくらくらいかかるものでしょうか。

「内装はかなり高いですね。当時は保証金が 1億円で内装は数倍かかったと言っていたので、5億円〜位ではないでしょうか。それに、私が可愛がってもらうようになってからの20数年は土曜、日曜日以外は内装屋を呼んで一緒に毎日新しい物を入れたり整備をしていました。毎日と言っても4時間くらいですかね。

内装屋の親方を弟のようにしていて、内装屋に『愛 本店』班があったくらいですから。その費用なんかも合わせたら 10億じゃきかないです。今、一から今工事して同じような物を作るには定価で5〜6億って言われるでしょうね! その他、音響や機材、厨房器具なんかを新品で揃えたら 1千〜2千万円はしますね」

――そういう装飾を考えていて、実行に移すのはどなたでしょうか。

「愛田本人です」

――移転しても『愛 本店』の内装はレガシーとして残っていくのでしょうか

「残していきます。現在の経済の状況を見ながらですが」

――北条さんにとって『愛 本店』で働いていて、一番良かった事、一番きつかった事を教えて下さい。

「働いていて良かったことはいっぱいあるのですが、愛田武から多くの事をこの目で見て学べた事ですかね、昔の職人みたいな感じで体で覚えろと言うタイプだったので。それと私には他のホストとは違う教えをしてくれていた事ですかね。

前々から次の時代は北条が歌舞伎町ホスト界を引っ張っていかなくてはいけない。と常日頃からみんなの前でも言ってくれていたので、教え方も愛田武の帝王学みたいな感じです。そういえば、この題名でなんか本出したのか、監修してたのかありましたね。

愛田の帝王学を学んだ人は多くいると思いますが、店に残った人は現在私1人です。先輩たちを抜かして、飛び越えて2代目会長にさせられたので。先輩の8割には良くは思われてませんね。

愛田の帝王学で成功して、1番有名な方はロボットレストラン、漫喫のマンボウ、テレクラのリンリンハウスを全国展開しているモリシタグループの森下さんですね。他にも有名な人はいますが、森下さんが1番の大成功じゃないですか。不動産や東京の風俗の受付ブースの箱は、ほぼこの人から風俗店が借りている物なので。都内8割です。もしかすると地方もあるかもしれませんが。

1番きつかった事は、私が生まれた年からある店なので、やんちゃな先輩が多く体育会系な感じだったことですかね。それも勉強になって、自分がされたきついことは後輩や部下にはしないと言う感じで、愛田のようにいつも笑ってスタッフと対応できるようになりました。

また、愛田はその昔、行政とヤクザ両方から目をつけられていた人だったので、怖い思いも、悔しい思いもいっぱいしてきました。

それと息子さんが亡くなられた時は辛かったですね。調布が地元でやんちゃしてたんですよね。そっちの後輩でもあるので本当に辛かったです。愛田が店を北条に任せるとみんなの前で言ってくれた時にも三男のことも頼んだぞって何度も連呼されたので」

――最後に『愛 本店』に来ていただいたお客様へメッセージがあればお願いします。

「長きにわたり『愛 本店』を愛し、来店して頂いたことを心から感謝、御礼申し上げます。移転まで少し時間がかかりますが、私たちの代になっても、愛田武の意志を愛を持って伝えていけるよう誠心誠意心がけて行きますので、今後もお願い致します。

それと移転は歌舞伎町内です。候補は上がっていますが決定してはいません。内装は現在の調度品は倉庫などを借りて保管して世の中の情勢が落ち着いてから完全再現の店を作る予定です」

※北条さんが開設したYouTubeチャンネル

「歌舞伎町しゅわしゅわ倶楽部」

歌舞伎町ホストならではの衝撃ストーリーが漫画で楽しく語られます。オススメ!

最後に、北条さんはこう付け加えてくれました。

「コロナ感染で新宿、歌舞伎町のホストクラブ、キャバクラ、飲食店の人たちが厳しい実情に立たされています。少しでも元気や勇気を出して欲しいので、そして多くの人に『愛 本店』や歌舞伎町を身近に感じて頂き、終息後には多くの人に歌舞伎町に来てもらいたいので宜しくお願い致します」

「夜の街」が悪者になっています。が、少しばかりわいざつの方が歌舞伎町は「健全」なはず。早く「健全」な歌舞伎町に戻ってもらいたいものです。(文◎久田将義)

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