「婚約破棄された原因、あなたにあるのでは?」無礼な男の一言に、人前で涙を流してしまった女

女にとって、人生で最も幸せなときと言っても過言ではない、“プロポーズから結婚まで”の日々。

そんな最高潮のときに婚約者から「別れ」を切り出された女がいる。

―この婚約は、なかったことにしたい。全部白紙に戻そう。

稲田麻友、29歳。

良輔に結納返しとして渡していた封筒を、手つかずのまま返された麻友。婚約破棄は決定的なのだと、ようやく気付いた。

―麻友のそういうところが違うんだよ。

良輔に言い放たれた言葉を、麻友は理解することができなかった。


「長旅の前に写真を整理してはいけない」

そんなジンクスを持ち出したのは良輔の方だった。麻友はカナダに出発する前、帰国後の引越しや結婚式の準備に備えて、写真の整理も手掛けていた。

「縁起が悪いからダメ」

そう言って、麻友のことを良輔は止めた。

「どういう意味?まさか写真を整理したら、生きて帰れなくなるって言ってるの?」

「そういうわけじゃないけど、心配くらいしてもいいだろ?それに結婚式のスライドで使う写真は、ゆっくり一緒に選びたいし」

麻友はやれやれと思いながらも、良輔の意思を尊重した。

どうやら、彼はロマンチストなのだ。ジンクス、記念日、サプライズ。麻友の人生では無縁だったことを、良輔はいつでもとても大切にしていた。

麻友は女性の中では、かなり合理的で現実主義なタイプだ。周りの女友達のように占いに夢中になったり、記念日に情熱を注いだこともない。

なので、まるで男女が逆転したような二人だと、周りからよくからかわれた。

たしかに、豪華で盛大な結婚式をしたいのも、婚約指輪や結婚指輪にこだわったのも良輔の方。麻友は結婚式自体一人娘にできる親孝行程度にしか思っていなかったし、そこにお金をかけすぎることは得策ではないと考えていた。

―もしかして、そこからズレが生じていた?

今となっては知る由も無い。

麻友は、結局使い道のなくなった良輔との思い出のツーショット写真の束を手にし、ただ途方にくれていた。

前に進もうと思うきっかけを与えてくれた親友の存在。ようやく麻友の時間が動き出す。

急な食事の誘いに乗ってくれたのは、中学高校の同級生であり親友の飯田美菜子だ。前回美菜子に会ったときに、プロポーズを受けたことと、留学することを報告したのだ。

美菜子の職場近くの、中目黒のスペインバル『バル ポルティージョ デサルイアモール』で、半年ぶりの再会を喜び合う。1杯目の白ワインを煽るように飲み終えたところで、麻友はようやく切り出した。

「婚約破棄!?嘘でしょ?どういうこと?!」

麻友の話を聞いて、美菜子は目を丸くして身を乗り出した。麻友はただ静かに頷き、美菜子もようやく周りを気にして声をひそめる。

「良輔からそんなこと言い出すなんて信じられない。だって、向こうがベタ惚れだったじゃない。理由は?なんて言われたの?」

「それが…聞いてないの。もう決まったことなら、聞いても仕方ないかなって…」

「だから麻友、そういうところだって」

美菜子の言葉に、一瞬、息が止まりそうになる。

―そういうところだよ。麻友のそういうところが違うんだよ。

まるでデジャブのように繰り返されるその言葉。美菜子の指摘は、良輔のあの日のセリフとまったく同じだった。


「美菜子、私、自分のことが全然わからない。こんなだから、良輔に捨てられるんだよね」

「どんな理由があったとしても、この段階での婚約破棄は許されることじゃない。自分を責めちゃダメ。むしろ、もっと良輔に対して怒って、責めなきゃ」

美菜子は悲しみと怒りで涙ぐみ、唇を震わせながら「良輔、最低。ひどすぎるよ」と言い放った。

たしかに、美菜子のいうとおりだ。麻友は自分を責めるばかりで、良輔を責めるということを忘れていた。感情的に怒りをぶつけるのはもともと苦手なのだ。

「でも、怒っても良輔の気持ちはもう変わらないし、お互い傷つけ合うだけでしょう?」

「傷つけ合うって…傷ついてるのは麻友だけだよ。理由も言わず、結納金で丸く収めてくれって、最低すぎる!仕事も辞めて、ご両親も巻き込んで…麻友、結婚、あんなに楽しみにしてたのに…」

こらえきれず美菜子は、ポロポロと涙をこぼし始めた。

「麻友、私悔しい。良輔のこと許せない」

麻友は、自分のハンカチを美菜子に差し出した。結局うまく感情を爆発させることなくここまで来てしまったが、自分のために泣いてくれる友人がいることに、救いを感じる。

「美菜子に辛い思いをさせるつもりはなかったの。ごめんね」

「なんで、麻友が謝るのよ。一番辛いのは麻友なのに」

麻友は、ハンカチを握る美菜子の手にそっと触れた。

きっと、麻友の両親も怒り、そして嘆き悲しむだろう。事態をわかっていない松川の義両親も傷つくはずだ。送り出してくれた元上司や同僚たちも、言葉を失うはず。

愛おしい人たちのことを思い、麻友の感情が、少しずつ動き始める。

「私、やっぱり良輔が許せない。それに、私の大切な人のことまで傷つけてる。やっぱり婚約破棄は、恋人同士の別れとは違う。けじめが必要だわ」

麻友は、美菜子の前できっぱりとそう言い切った。

麻友の決意を聞き、美菜子は涙を拭って、頷いた。

麻友が向かったのは馴染み深いあの場所だった。しかし、動き出した麻友に最大の悲しみが訪れる。

けじめが必要。

ようやくそう気づいたものの、何からどう動いて良いのかわからない。

何より、いつまでも無職でいるわけにはいかない。仕事が生きがいだった麻友にとって、この何もしていない状況こそが一番の負担だった。

婚約でキャリアを捨ててしまったことは間違いだったと、ようやく言い切れる。でも、後悔しても仕方がないことだ。開き直ってしまった麻友は、自分のたくましさに少々呆れてしまうほどだった。


「もしもし。澤村と申します。アルバイトの採用ご担当者様はいらっしゃいますか?」

履歴書を準備し、新調したスーツを着る。久しぶりにプレーンなパンプスを履き、足取りも軽い。

麻友にとって、仕事場はここしか考えられなかった。

「冗談だろ?」と、面接官としてやってきた笠井修一は目を丸くしている。

「アルバイトとして、一から勉強させてください。シフトはフルタイムで入れます。尚、結婚の予定はありません」

笠井はなんとも言えない表情でため息をつく。

「採用していただけますか?」

「しかし、扱いづらいアルバイトだな。誰も雑用頼めないぞ。…で、いつから来れる?」

「ありがとうございます。いつからでも大丈夫です。お役に立てるようにしっかり頑張ります!」

麻友は笑顔で頭を下げた。こうして、麻友は元職場である百貨店の紳士雑貨売り場でアルバイトをすることになった。

―いつまでもウジウジしているわけにも、婚約中のふりをしているわけにもいかない。

どうせバレるのだから、思い切りよく発表して笑って慰めてもらおう。大好きな職場で一から出直す。これが麻友が選んだ一つのけじめだ。

そして迎えたアルバイト初日。品出しやレジ打ちなど、麻友にとっては懐かしい業務ばかりだった。入社当初を思い出しながら、あっという間に時間が過ぎ、閉店時間を迎える。

早速その夜、急遽麻友の歓迎会が行われることになった。突然のことだったのに、笠井や後輩の三原愛をはじめ、たくさんの同僚たちが参加してくれた。それだけ麻友は慕われていたのだ。

歓迎会の場で、婚約が白紙になったという発表になったが、重苦しい空気にならないように皆が気を使ってくれたのが本当にありがたかった。

お酒の入った麻友は、本当に久しぶりによく喋り、リラックスして過ごせた。愛に「これからよろしくお願いします。愛先輩」とおどけて言い、みんなを大笑いさせた。

そんな中、一人、にこりともしない男がいる。

会社の顧問弁護士事務所に勤める、吉岡誠司だ。たまたま今日笠井とのアポイントメントがあったらしく、流れで誘われたのだという。

麻友も知らない仲ではないが、東大の大学院を出たばかりの吉岡は、若いのにやけにプライドが高く愛想も悪いので、正直苦手だった。

―気が進まないなら、別に来てくれなくても…。

そんなことを思いながらも、あまり相手にせずに麻友はその場を楽しく過ごしていた。

「何がそんなに楽しいんですか?よく笑っていられますね?」

突然の吉岡の発言に、麻友は耳を疑う。一瞬でその場が凍りついた。

麻友は無視しようと決め込み、笠井が慌てて吉岡の気をそらそうと話しかけるが無駄だった。

「婚約破棄に正当な理由はあるんですか?それとも債務不履行の原因があなたにあるから平気でいられるんですか?」

吉岡は麻友を睨みながら言い、笠井がすかさずフォローする。

「債務不履行って大げさな…」

「大げさではありませんよ。婚約は書類を交わさなくとも契約です。慰謝料請求の事案になりますから」

すると今度は愛が、吉岡に食ってかかる。

「吉岡さん、原因が麻友さんにあるみたいな言い方ってどうなんですか?」

「そうでもなければ、能天気に酒なんて飲んでいられないと思って」

麻友は一瞬頭が真っ白になったのち、気がついたときには叫んでいた。

「能天気ですって?! 私がいまどんな気持ちでここに…」

そう言ったとたん、視界がにじみ、涙が溢れ出す。

ー皆の前なのに…泣いちゃダメ。

慌てて顔を背け、懸命にこらえるが、限界だった。思えば、良輔に婚約破棄を告げられて以来、一度も泣いていないのだ。

温かい仲間たちの前でついに溢れ出してしまった感情を、抑えることはできなかった。



▶NEXT:8月21日 水曜更新予定
仕事に復帰した麻友に、突然食ってかかる若手弁護士の男。麻友のめざす「けじめ」のために歯車が回り始める。


▶明日8月15日(木)は、人気連載『美女失脚』

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