「君はもう来なくていい」と言われた妻が、それでも”家族ぐるみ”を続ける深い理由

マンネリな毎日に飽き飽きしていた海野美希(36)は、夫の海野誠(38)の提案で、誠の学生時代の友人2家族と家族ぐるみの付き合いを開始。

山本家と日向家を誘い自宅でBBQを開催したが、山本家の不愉快な態度に「今後のお付き合いは控えたい」と感じてしまう。

ところが今度は3家族揃ってキャンプへ出かけることに...しかしその場で美希は、両家族の不快な態度は些細な価値観のズレによるものだったことに気がつく。

キャンプでの雰囲気は思いの外和やかなものだった。

ところが一転、山本家の娘が怪我をし、しかも娘の真奈のせいにされてしまったことで、ついに美希は誠に「家族ぐるみの付き合いをもうやめたい」と伝えるのだった。


−俺...実は、美希が無理しているの、ずっと前から気づいていたんだ−

夫の口から聞かされた、衝撃の告白。

思いもよらぬ言葉に身を固くする美希だったが、そんな妻を目の前にして誠は尚も言葉を続ける。

「内輪の話も多かったし、BBQの時もたくさん働いてくれていたよね。無理してることは分かっていたけど、でも…。俺はあいつらのことが好きで、集まるといつも楽しかったから、美希も少しは楽しんでくれてるんじゃないかとも思ってた。いや、そう思い込もうとしてたんだ。本当にごめん…」

そう言いながら誠は、美希の体を一層強く、優しく抱きしめた。

思慮不足と紙一重の純粋さ。それは、誠の短所でもあり長所だ。きっと誠は言葉の通り、心から美希が楽しんでいると信じ込んでいたのだろう。

だが美希は、誠の希望的観測的な言葉をあながち真っ向から否定することができなかった。

―私、本当にずっと苦しいだけだった?

誠くんが友達と子供みたいに笑ってるのを見ている時は、幸せな気持ちだったよね?

嫌々来たキャンプも、こんな事件が起きるまでは私もちゃんと楽しめていたよね?

仲良くなりたいっていう気持ちは、本心だったよね…?

やっと誠に辛い気持ちを伝えられたというのに、美希の心に広がる憂鬱は不思議と晴れてくれない。

答えの出ない自問自答を心のうちで繰り返しながら、美希は煩わしい現実をシャットアウトするかのように誠の肩に顔を埋めた。

怪我をさせてしまったのは、本当に娘なの?車中で明かされる、認めたく無い真実

翌朝7時半。

モヤモヤとした気持ちが晴れないまま、美希は真奈と共に愛車・MINIクラブマンの後部座席に乗り込んでいた。

朝食も済ませていない早い時間ではあったものの、昨晩の美希の涙を見た誠の配慮によって、真奈の起床とともに早めに帰宅することにしたのだ。

朝露で湿るログハウス前の庭では、見送りに来てくれた日向達也が大志くんの肩に手を置きながら寂しげな笑顔で佇んでいる。

全ての荷物をトランクに積み終えた誠は、運転席に乗り込むとウインドウを開けて日向たちに別れの台詞を投げかけた。

「日向、悪いな。急に早く帰る事になって…」

「いや、全然いいよ。それより、千花は体調がちょっと優れないみたいで…見送れなくてごめん。…あんなことがあって残念だったけど、落ち着いたらまた集まろう」

誠は日向に軽く手を上げて挨拶をし、アクセルを踏み込む。

リアウィンドウに切り取られた景色の中で、日向と達也くんの姿がどんどん遠ざかっていった。


「蘭ちゃん、先に帰っちゃったんだね…。大丈夫だった…?」

窓から外をじっと見ていた真奈が、ポツリと呟く。美希はなるべく穏やかな声を心がけながら、真奈の問いに答えた。

「大丈夫だよ。頭にお怪我をしちゃったから、お家でゆっくり休むって。きっとすぐに元気になるよ…」

しかし、それを聞いても真奈の表情は少しも緩む気配はない。

律子が昨晩言っていた「蘭ちゃんの怪我は真奈のせい」という主張は、遅かれ早かれ本人に問いたださないわけにいかないだろう。

美希は少しのためらいを感じつつも、真奈が自ら蘭ちゃんについての話題を出したこのタイミングをもって、真実を確認する事にした。

「ねえ、真奈。もうここにはパパとママしかいないから、もしよかったら教えてくれないかな?…蘭ちゃんは、どうして怪我しちゃったの?」

願わくば、勘違いであってほしい。美希の心臓が、ドラムロールのように早く脈打つ。

だが、長い沈黙の後に真奈が絞り出した言葉は、美希のそんな期待を裏切るものだった。

「…真奈のせいなの。真奈が、真奈が蘭ちゃんを押しちゃったから…!」

そう言った自身の唇がスイッチであったかのように、真奈は低いサイレンのように泣き始める。美希は慌てて真奈を抱きしめたが、真奈の涙は止まらなかった。

「大志くんがチャンバラをしようって言い始めて、大きな木の枝で私たちを追いかけ回したの。それで、蘭ちゃんに枝が刺さりそうだったから、枝から遠ざけようとして蘭ちゃんを押したら…蘭ちゃんが転んじゃって…」

「大丈夫。真奈、よく分かったからもういいよ…」

故意ではなかったとはいえ、真奈が蘭ちゃんの怪我の原因であったことはまぎれもない事実だ。

美希は動揺を悟られないよう真奈の手をしっかりと両手で包み込む。

―きちんと謝罪しなくちゃ…。でも、顔もみたくないと言われてしまった手前、どうしたら…?

途方にくれる妻に、誠がついに待ち望んでいた言葉を口にする。しかし美希の決断は...

「どうしよう、真奈のせいでもう遊んでもらえなくなったら…」

何度も繰り返しそう言いながら、泣き疲れた真奈は美希の膝に頭を預けて眠ってしまった。

寝息を立てる真奈のまつ毛が、朝露で濡れた芝を彷彿とさせる。怪我をしてしまった蘭ちゃんはもちろんだが、罪悪感で眠れなかった真奈の心を思うと、美希の瞳も自然と潤んでしまいそうだった。

「美希、今回のことは俺の責任だ。自分の楽しみばかり優先して、子供達の様子を見ることなんて完全に頭から抜けてた。いかに美希にいろんなことを丸投げにしていたのか、痛感するよ」

熟睡した真奈の寝息を確認したのだろう。運転席の誠が、控えめな声で美希に語りかける。

「山本と律子さんには俺から謝っておくから、美希は心配しなくていい。美希はもう、山本家にも日向家にも会わなくていいよ…」

バックミラー越しに見える誠の瞳には、いつものような少年らしい輝きは見えない。

「誠くん…」

天真爛漫な光を失った鏡の中の誠は、まるで一晩で10歳も老け込んでしまったかのように見える。初めて見る夫の憔悴に美希は、それ以上返す言葉が思い浮かばなかった。



自宅へ戻った後も、陰鬱なムードが消えてくれることはなかった。

翌日の朝食は、誠も、学童へと向かった真奈もほとんど手をつけないまま。

ほとんど破棄することになった3人分のスクランブルエッグを思い出しながら、美希は3日ぶりのオフィスでパソコンと向かい合う。

誠の宣言した通り、山本家への謝罪は彼が担当することとなった。だが、休み明け早々に北関東での現地調査を控えていた誠は、「2,3日してから連絡を取ってみる」と言い残して早くに家を出発してしまったのだ。

―早く、山本家に謝りたい。誠くんは2、3日経ってからって言うけど…真奈が蘭ちゃんの怪我の原因だったってことがハッキリした以上、謝罪は早い方がいいんじゃ…?

確かに「顔も見たくない」と言われてしまっている現状、謝罪を申し入れたところで受けてもらえるとは限らない。それどころか、罪悪感から早く解き放たれたいがための、身勝手な行為と捉えられてしまう可能性もあるだろう。

だが頭では理解できても、美希の脳裏に浮かぶイメージはそんな理屈を否定する。

あの夜の、怒りに歪んだ律子の顔。二晩たった今でも、律子の怒りの表情は繰り返し繰り返し記憶の中で美希を責め続けるのだった。

―やっぱり、少しでも早く謝ろう。

そう誠に伝えようと、スマホに手を伸ばす。その瞬間、デスクに伏せる形で置いてあったスマホがひきつけを起こしたように震えた。

慌てて画面を確認した美希は、思わず息を飲む。

表示されていたメッセージは、律子からのものだったのだ。


『美希さん、先日はお疲れ様でした。突然ですが、今日美希さんの会社の近くに来ています。何時でもいいので、少しだけお会いできませんか?』

絵文字も何も無い律子のメッセージからは、その表情を読み取ることはできない。美希はバクバクと喘ぐ胸を押さえつけながら、律子の真意についての思考を巡らせる。

―どうしよう!?まさか、律子さんの方から面会を申し入れられるなんて…。やっぱり時間を置いてから謝るなんて、誠くんの考えが呑気すぎたんだ…!

真奈が怪我をさせてしまったという引け目がある以上、この申し出を断る事は出来ない。誠に同席してもらうことも頭に浮かんだが、今日誠は一日中社外にいることを思い出し、美希は頭を抱えた。

しかし、しばしデスクに突っ伏しているうちに、思考は奇妙にクリアになっていく。

誠から「家族ぐるみの付き合いにもう来なくていい」という言葉を引き出した時もついぞスッキリすることのなかった曇天に、切れ目が現れたように。

―会おう。私と律子さん、2人で会って話すんだ…!

夫に任せることもできたのに「自ら律子に謝る」と決めた美希。彼女の心境が変わった理由とは

『私もお会いしたいと思っていました。11時半に、マンダリンホテルの『センスティーコーナー』でお会いしましょう』

決意を固めた美希は律子にそう返事をすると、ホワイトボードに外出の予定を書き込み外へと飛び出した。

幸い、7月に夏休み取得を推奨している美希の部署は閑散としており、立て込んでいる案件もない。お詫びの菓子折りを買いに行き律子と面会をするくらいの時間は、無理なく作れそうだった。

日本橋三越の地下で羊羹のセットを購入しながら、美希は今の自らの気持ちに向き合う。

「美希はもう、家族ぐるみの会に来なくていい」

誠にそう言われてもなぜ気持ちが晴れなかったのか、その答えが分かりかけているような気がしたのだ。

―こんな風に、終わりたくない。

真奈が起こしてしまった事件の後始末をせずに、誠くんに全てを押し付けて逃げたくはない。

卑怯な人間だと思われて、誠くんの肩身を狭くしたくない…!

海野家でのBBQでは確かに、奴隷のような扱いを受けて屈辱を味わうことになった。だがそれは”ゲストにはとことんくつろいでもらう”という認識をうまく共有できていなかっただけなのだ。

美希の心には今、この上なく親切だったキャンプでの両家族の笑顔がしっかりと焼き付いている。

悪い人たちではない。もしかしたら、好きになれるかもしれない。キャンプで予感した、誠が望んでいたような関係になれるかもしれなかったチャンスを、こんな風に打ち捨ててしまいたくはなかった。


何より、これで本当に今後3家族が集まることがなくなってしまったら、真奈はどう思うだろう?

自分が蘭ちゃんに怪我をさせてしまったせいで、もう遊べなくなってしまった。そんな罪の意識に苛まれることは間違いない。

幼い真奈の柔らかな心に、そんな風に罪の十字架を突き立ててしまうことだけは絶対にしたくない。

―私が、自分で話さなくちゃ。しっかりと謝って許してもらって…真奈の心と、誠くんの心を守るんだ…!

律子の憤怒。真奈の涙。誠の失望の瞳。堪え難い悲痛な表情の数々をフラッシュバックさせながら、美希はマンダリンホテルへと歩みを早める。

そして、約束の時刻の10分前。

たどり着いた『センス ティーコーナー/マンダリン オリエンタル 東京』には、すでに窓際の席に背筋を伸ばして座る律子の姿があった。


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「なぜ、あなたを呼び出したか分かる?」険しい表情で美希に向き合う律子が放った、予測不能な言葉とは

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