「死を体験したい」20~40代が急増中。一体なぜ?

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 終活ブームのさなかで、ひとつの不思議な現象が起きている。それは20~40代の若い世代が「死を体験するイベント」に続々参加しているというもの。終活と無縁の世代がなぜそこへ向かうのか。その現場に足を運んでみた。

◆「死」を体験するプログラムで人々は「生」を実感する

 人が自分の死を意識するのは、いくつぐらいからなのか。各週刊誌やテレビがこぞって終活特集を組んだり、坂上忍や秋野暢子ら芸能人が自らの終活を告白したりと、空前の終活ブームである。その影響もあって、まだ若いのに「死を体験するイベント」に参加する人々が急増。実態を探るべく、「死の体験」に足を踏み入れた。

 最初に訪れたのは、首都圏を中心に人気の「死の体験旅行」。主宰は横浜市にある寺院の倶生山なごみ庵・住職の浦上哲也氏。同イベントで使用されるのは、元は海外のホスピス向けに開発されたプログラム。それを浦上氏が独自にアレンジし、実施しているという。

 開催場所の都内の寺院に集まったのは、28人の男女。年齢層は20~40代が中心。仕事帰りか、スーツ姿の男性の姿も見られた。

 まず、参加者たちが「家族」「仕事」など自分にとって大切なものを紙に書き、ワークショップは始まる。住職が読み上げる「病が発覚した“私”が命を終えるまでの物語」を聞きながら、参加者は、事前に紙に書いた「大切なもの」を取捨選択していく。自分の死を想像しながら何度も行われる「大切なものを捨てる作業」。それを通じて、「もし死が迫ったら自分は何を優先するのか」を突きつけられることで、自然と人生の優先順位が可視化されていく。

 ワークショップ終了後は、「死の体験旅行」を経た感想を全体で言い合うシェアリングが行われる。参加者からは、「忙しい日々のなか、『死を目前にしたときに後悔しない人生』を考えることで、気持ちを整理できた」(30代男性)、「重い病気を患った際に家族に支えてもらったことを思い出した」(40代女性)との声が上がった。中には感想を語りながら、感極まって泣きだす人々の姿も。取材班も最初はその姿に驚きつつも、彼らの多くが口にする「周囲の人々への感謝」を耳にするうち、自身の中でも家族や親しい人の顔が思い浮かび、感謝の気持ちが込み上げてくるから不思議なものだ。主宰の浦上氏は参加者の傾向をこう語る。

「親しい方が亡くなったという人もいれば、好奇心からいらっしゃる方もいます。あとは、会社の上司に、『考えが整理されるから』と勧められたという方もいますね」

<死の体験旅行>
「私」が病魔に侵され、死に至るまでのストーリーを、進行役である僧侶・浦上氏のガイダンスに従っていくワークショップ。都内の寺院や横浜の倶生山なごみ庵で、月1~2回開催。参加費は3000円前後

◆終活は自己啓発になっていた

 そして、同じように若い世代から支持を集めるのが、関西を中心に開催されている「Deathカフェ」。「お茶を飲みながら、死をカジュアルに語る」というスイス発のムーブメントを基に始まったイベントだが、開催場所は京都の寺院・明覚寺。参加者は20~70代の14人。参加理由を聞いてみると、「以前から死に興味があったが、人と話す機会がなかった。カフェの存在を知り、以来毎回参加している」(40代女性)、「医療現場で普段死に直面することが多いため、一度他人の意見を聞きたい」(20代男性)などの声が。

 その日は、「安楽死・尊厳死」をテーマにしたトークセッションの後、グループに分かれて「もし自分なら安楽死するか」をテーマに語り合う。お互い面識がない人同士だからか、普段は縁遠くて話す機会のない「死」についても気負わず話しているのが印象的だった。

「人の生きる権利は全うしたいから安楽死は絶対にない」という否定派もいれば、「深刻な病に侵されていたら安楽死を選択するかもしれない」と答える肯定派まで、世代や背景の違う人々の意見を聞くたびに「死」への価値観が揺れ動く。開催の経緯を、主宰の福岡県・覚円寺副住職・霍野廣由氏に聞いた。

「僕自身が自殺防止のNPOに関わっているのですが、活動を通じ、死について他者と語り合う必要性を感じました。死を通じて、『自分の人生で大切なもの』を見直す契機になればと思いました」

 なぜ、終活とは無縁の世代が心を震わせ、「死」と向き合おうとするのか。霍野氏は、世に蔓延する生きづらさが一端ではと指摘する。

「死から逆算することで、『自分は何を大切に生きるか』がより明確になる。生き方が多様化するなか、『自分が本当にやりたいこと』を見つめ直したいと思い、参加する若い世代も増えているのでは」

 実際、イベントに参加した人たちにはどのような変化があったのか、前出の浦上氏はこう語る。

「『死』を基軸にすると、人生はシンプルになるのか、イベント後に何か大きな決断を下す人も多いです。実際、参加後に、結婚や転職へ踏み切った人もいましたよ」

「死ぬ気でやれば何でもできる」とはよく言ったものだ。イベントを通じて死を改めて考えることで、人生に喝を入れられた気がした。

<Deathカフェ>
「結論を出さない」「カウンセリングではない」などのルールを設定し、お茶を飲みながら、死について話し合うDeathカフェ。京都にある浄土真宗本願寺派明覚寺をはじめ、全国で不定期開催。参加費は500円

取材・文・撮影/藤村はるな
― 終活は自己啓発になっていた! ―


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  • 6/11 8:50
  • 日刊SPA!

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この記事のみんなのコメント

8
  • おやぢ

    6/13 21:16

    自分の死について考えても「ハードディスクの中のいかがわしいデータをどうしよう?」くらいしか思い浮かばない…

  • 別天津神

    6/12 19:09

    毎朝布団から出る前に、己の死に様を思念して実感するんです。思いもかけぬ死に様に直面しても、周章狼狽しないように、死んでみるんです。寝床を離れるとき、既に死人なのです。死人になんの憂いも辛苦もあろう。楽しいといえば楽しいく、どうという事はないと云えば、毎日がさしたる事もなく過ぎてゆく…』(死ぬことと見つけたり参照)( *・ω・)オモシロイモノデス

  • 別天津神

    6/12 18:59

    佐賀鍋島武士の如く、死の鍛練をなさっては如何?『必死の観念、一日仕切りなるべし。毎朝身心をしづめ、弓、鉄砲、槍、太刀先にて、ズタズタになり、大浪に打取られ、大火の中に飛込み、病死頓死等死期の心を観念し、朝毎に懈怠なく、死して置くべし。古老曰く、「軒を出づれば死人の中、門を出づれば敵を見る」となり。用心の事にあらず、前方に死を覚悟し置く事なりと…』

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