事務処理を正確にこなす人の給料が減っている理由

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●「業務時間」を定義するのが難しい現代の職場環境

 1990年代後半にオフィスでインターネットにつながったPCが1人1台配備されるようになって以来、本来の仕事以外の雑音がたくさん入ってくるようになりました。ウェブサイトを開けば広告が表示されますし、メールボックスに「今日の何時まで限定セール」などと書かれたタイムセールの案内が入ってきたりします。消費者向けビジネスの活動は、皮肉にも今や「消費者の仕事時間に自社の商品のことを考えさせるのが仕事」であるという見方もできます。

 これは、インターネット販売をしている企業だけでなく、インターネットに広告を出してモノやサービスを売っている会社も同じです。私には、あらゆる企業が人々の仕事時間を侵食しようと躍起になっているようにも見えます。

 PCがインターネットにつながる前の時代は、オフィスで働く人が個人的な消費について考えるきっかけとなったのは、休憩時間や自宅でテレビを見たりラジオを聴いたり、雑誌や新聞を読んだりする時間が中心でした。しかし、現在はインターネットにつながった電子機器に触れている時間すべてで、広告が目に入ってきてしまいます。つまり仕事の邪魔をされています。

 さらにスマートフォン(スマホ)の時代になってからは、社員間の連絡も、会社に認められているかどうかに関係なく、ソーシャルネットワークを通じて行うことが定着化しています。こうなるともう社員がスマホを触っている時間は無法地帯で、経営者側としては痛しかゆしです。社員には業務時間中は仕事に専念してもらいたいと思っていますが、お客さんには逆、つまり就業時間中もスマホで自社の商品の情報に触れてもらうことを期待しています。PCやスマホはもはや業務に欠かせませんし、社員が思わずクリックまたはタップしてしまう行動を通じて、自社商品の開発や売上増加のヒントを得られることもあるでしょう。

 このような状況ですから、現在は「業務時間」というものを定義することが非常に難しくなっています。形式的には会社の建物の中にいる時間、業務のために移動をしている時間、取引先を訪問している時間といえますが、公私の区分けを明らかにするのはもはや不可能です。企業はホワイトカラーの成果や生産性の定義を根本的に見直さなければならなくなってきているといえます。

 また、これらの情報機器の普及と派遣法の改正で、仕事の質が根本的に変わってしまいました。データ入力や、左の物にラベルを貼って右に出すなどの事務作業は、一定規模以上の会社では正社員は基本的にやりません。定常的にそれを行うことが必要であれば、少なくとも派遣社員に任せるか、外注に出します。何百件もの宛名書き、電卓を使っての検算、紙伝票を転記して請求書をつくるといった仕事も、もう存在しません。このような「正確な事務処理」ができる人材が重宝される時代が、ついこの前までありましたが、現在はそのような求人は皆無に近いといえます。

 一方で人手不足が深刻になっています。しかし実態は職種によります。たとえば、「そろばんが二級で、書道が初段の、文系の大卒」、このような資格を持つ人の求人は非常に少なく、今の人材市場のなかで一番悩ましいタイプといえます。

●1人分の仕事を2人でやることが人材育成だった時代

 霞が関の役人と話をしていたら、ぼそりとこう言いました。

「そういえば昔は清書っていう仕事があったな」

 昔は、仕事の引き継ぎやOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)は、たとえば課長補佐が手書きでメモを書き、「これ、清書しといてください」と部下に指示することによって行われていました。要点が箇条書きされた手書きのメモをきちんとした文章にして、論理的にまとめて裏付けとなるデータを加えて、といったやりとりが部下を育てることでした。

 しかし、今のIT環境のなかでは自分でやったほうが早いので、課長補佐が自分でやってしまいます。データ集めは昔は一苦労でしたが、今はすぐに調べてダウンロードして整理できてしまいます。部下に手伝ってもらうとしたら、せいぜい「エクセルで加工しといて」ぐらいのことしかありません。

 清書というとまったく無駄な仕事のように見えますが、実はその過程で人を育てていた、というわけです。そして、この先の会話は「その結果、職場のコミュニケーションが悪くなり」「人間関係が希薄になった」から、「職場のコミュニケーションのあり方を見直す必要がある」と進んでいったのですが、話に相槌を打ちながらも、私は「何か違うな」と感じていました。

 要するに昔は1人分の仕事を2人でやっていたということです。昔は非効率を吸収する余裕がありましたが、今は非効率を許容しない社会になってしまいました。このことで「事務処理が得意な人」つまり「正確にこなす人」の 給料は少しずつ下がっていき、「難しい仕事をこなせる人」、つまり「新しいものを創り出す人」にはどんどん仕事が集まっていくようになりました。

「創り出す人」と「こなす人」の格差は、これからも広がる一方です。人々がどれだけ不平不満を言おうと、法律でなんとかしようと、この流れは止められないでしょう。企業は利益を求めます。利益の一部は税金として国に納められ、また一部は配当として株主に払われます。

 国に払われた税金は社会インフラの整備や公的システムの運用、住民サービスの提供に使われますし、配当は退職者に支払われる年金の重要な原資です。このように、会社が利益を出すというのは社会にとって非常に大切なことですから、あなたがもし「会社は儲けすぎ、もっと社員に還元を」と思っていたとしても、なかなかそうはなりません。誰でもできる仕事をしている人の給料はできるだけ低く抑え、会社に利益をもたらす仕事をする人には高い給料を払うのが、もっとも自然かつ健全な企業の姿です。

 もし、あなたが現在ホワイトカラーの仕事に就いているとしても、今のままでいられる期間は残り少ないかもしれません。きれいなパワーポイントの資料を自慢したり、エクセルの関数の知識を競ったりしている場合ではありません。創り出す側に行かなければ、この先は本当に暗いと思います。

●創り出すには、努めて非日常を経験すること

 いま我々の多くは、自分たちが子供の頃には存在しなかった職業に就いています。たとえば、携帯電話ショップの店員、M&Aアドバイザー、スマホゲームのプログラマーなどは比較的新しい仕事です。歴史と伝統のある組織に入った人たちも、その多くは昔は存在しなかった仕事をしています。自動車メーカーで電気自動車の開発、石油会社で電気の販売、警察でサイバーテロ対策など、数え上げればキリがありません。

 我々に求められているのは新しいことを学ぶ力、新しい環境への適応力です。「こんなはずだった」「こうでなければならない」という思い込みを捨てなければ、勝負しようとしていたリング自体がなくなってしまうリスクを常に負っているといえます。

 適応力がある人とは、「皆ができることができて、かつ皆ができていないことをいち早く習得できる」人のことです。そうなるためには、会社の仕事は定時で終わるようにする訓練から始めましょう。できれば、必要に迫られてそうするのではなく、自分から先に仕掛けましょう。そのほうが絶対に面白いはずです。そして、自分から先に仕掛けるには、新しいものを生み出すことが必要です。

 成熟社会における新しいものとは、新しい組み合わせです。新しい組み合わせを考えるには、普段と違った環境に定期的に身を置くことです。私の一番のおすすめは、旅行です。旅行は新しい視点を得るのに格好の活動だと思います。旅行に行くのも、ガイドブックをなぞるようなやり方ではなく、現地の人たちとコミュニケーションし、人と文化を学ぶような旅行をし、そしてそこで気づいたことを実行してみることです。

 本稿の最後に、リーズナブルな価格で家具を販売するチェーン「ニトリ」の創業者、似鳥昭雄さんが日本経済新聞朝刊の連載『私の履歴書』のなかで話していたエピソードを紹介しましょう。

 似鳥さんが1970年頃に立ち上げた家具のディスカウントストアは、開店当初は飛ぶ鳥を落とす勢いだったのですが、近所に大型家具店ができたところ、業績が悪化し、ほとんど倒産しそうな状況になってしまいました。それはもうネガティブなことばかり考えていたそうです。

 そんな日々が続くなか、アメリカの家具店を視察するセミナーの話があり、似鳥さんはわらにもすがる気持ちで視察旅行に参加しました。現地に行ってまず驚いたことは、洋服ダンスや整理ダンスなど日本でおなじみの箱物家具がなかったことです。アメリカの家では、クローゼットの中に組み込まれていたからです。アメリカの家具店では、家具は部屋ごとにしっかりとコーディネートされ、ダイニングやリビングも豪華で美しい。しかも価格も日本の3分の1でした。

 参加者は口を揃えて「アメリカと日本は違う世界だね」と言いましたが、似鳥さんは「同じ人間がやっているんだ。日本人も便利さや安さを今以上に求めるはず」と考えたといいます。帰国後の反省会では、仲間と皆で「アメリカ風にマネしてみよう」と意気投合しました。しかし、部屋ごとにイメージに合った家具を開発し、それを低価格で販売することを実行に移したのは、似鳥さん1人だけだったそうです。
(文=山崎将志/ビジネスコンサルタント)

  • 5/24 0:45
  • Business Journal

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この記事のみんなのコメント

1
  • 朝陽

    5/24 4:15

    要するにお先真っ暗ってことやね

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