“私立御三家”出身、TV局社員の転落人生…時給1000円アルバイトで20年、気づけば50代に

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 高学歴ならば人生安泰という神話はとうの昔に崩れ去った。たとえ、生真面目にエリート街道を進み、世間的には一流の職業に就くことができたとしても人生なにがあるかわからない。今回は、“御三家”と呼ばれる名門校から憧れのテレビマンになったにも関わらず、現在は時給1000円のアルバイト生活に甘んじる50代男性の半生を紹介したい。

◆“私立御三家”に通い女のコにモテまくった

 実家は横浜市内の高級住宅街。父は航空会社社員、母は有名生命保険会社の総合職を経て専業主婦。誰もが羨む上流家庭に育った吉原さん(仮名・50代)もまた、当たり前のように名門私立幼稚園に通い、中学も私立、高校は東京都内の“私立御三家”と呼ばれる男子校にすんなり受かった。高校入学時点で五教科の偏差値は低くて70、模試によっては偏差値が80を超えることも少なくない。まさに“神童”の名に恥じない「エリート予備軍」だった。

 大学は当然「東大」以外にない、と高校入学直後から勉学に励んだ。とはいえ、文武両道が大事だという父の教えに従い、陸上部では短距離走者として活躍。身長は180センチを超え、社会人デビュー前にして、すでに「高学歴・高身長」かつ、しょうゆ顏のイケメンとくれば、学園祭では他校の女子生徒からモテまくった。その後、東大にこそ受からなかったが、現役で慶応大学法学部に合格した。

 そして、大学ではほぼ「オール優」の成績で卒業。当時は競争倍率数千倍とも言われた大手テレビ局に就職が決まった。

◆大手テレビ局に就職したが身も心もボロボロに

 入社した80年代後半、当時はバラエティ全盛期だった。吉原さんはバラエティ番組や情報番組を作る「制作局」を希望したが、実際に配属されたのは「営業局」。まったく興味のなかった分野だけに落胆したが、何とか必死でやりきろうと決めた。ところが、当時のテレビ局営業職の仕事といえば、広告代理店やスポンサーの接待一色。パワハラやセクハラは当たり前どころか常識で、毎晩のように朝まで飲み、吐いても吐いても飲まされた。家に帰るのは空が白ける頃というのも当たり前。

 眠りにつく前には上司から呼び出され、ほんの数時間前まで飲んでいた得意先の会社玄関に立ち、役員らの出社を迎えたりもした。営業2年目のある日、吉原さんはついに会社で倒れて入院。丸一日意識が戻らぬほどに体も精神もボロボロになっていたのだった。

「医師からは労災を申請した方がいい、と言われました。何も知らずに会社にそれを話すと、すっかり私への扱いが変わった。1週間入院して会社に戻ると、営業には戻らずそのまま人事局へ異動が決まり、半年後には業務部へ。その間、テレビマンらしいことは一切やらせてもらえず、会社ビルのメンテナンスや清掃を請け負う下請け会社と向き合うような部署に配属されたのです」

◆窓際よりも厳しい「墓場」の部署へ…

 この部署は社内でも窓際よりも厳しい「墓場」と呼ばれるところで、吉原さんのように若い社員は皆無。窓際からも追放され、あとはゆっくり退職を待つだけのお荷物社員たちの巣窟でも、吉原さんは毎日毎日、ネチネチと嫌味を言われたり、シュレッダーかけのために残業を強要されたり、イジメを受けた。プライベートでは、一時期彼女がいたこともあったが、会社でのストレスを彼女にぶつけてしまうようになりあっけなくフラれ、給料だけはもらっていたから、毎日のようにキャバクラや風俗に通った。そして、吉原さんにとって、人生で最大の危機が訪れる。

「通いつけだったキャバクラで、酔って女の子を殴ってしまったんですね。私は相当に悪酔いをして覚えていませんが、警察沙汰になった。女の子には慰謝料を百数十万を払い示談にしてもらいましたが、会社からは『週刊誌にでも載ったらどうするんだ』と吊るし上げられ結局、依願退職しました」

 数百万円の退職金を手にしたものの、行く宛てもなく、東南アジアやアフリカなどをおよそ3年をかけて放浪。帰国したときにはすっかりバブル景気も終わり、就職氷河期が訪れていた。「人あまり」になった日本では、吉原さんのように高学歴高身長でも“元高収入”の半人前営業マンの需要はなかった。

 すっかり貯蓄もつき、仕方なくビルメンテナンス会社に就職したのが運の尽き。職場では「慶応ボーイがビルメンか」と意地の悪い先輩にからかわれた。年下の高卒先輩社員からも目の敵にされ、毎日アゴで使われた。そうすると、わずか1年後にはすっかり体調を崩し、実家の自室に閉じこもるようになってしまった。

 再就職をしようにも、やはり高学歴で大手キー局にいたというプライドが邪魔をする。いまさら普通の仕事などをする気にはなれなかった。

「2年ほどでしょうか……何もやる気が起きず、かと言って死ぬこともできず、ずっと引きこもっていました。しかし、最初の就職先だったテレビ局の数少ない先輩が声をかけてくれたんです」

 その先輩とは、就職活動中からよく目をかけてくれた憧れの先輩社員。報道局や制作局を経て退職後、報道系の制作会社を立ち上げたばかりだった。先輩の優しさに号泣し入社を決めたが、ほとんど社会人としてまともにやれなかったこともあってか、すぐに再び会社の“お荷物”に成り下がった吉原さん。

 毎日午前8時30分に出社し、12時きっかりに手作りの弁当を食べ、これまた18時ぴったりにタイムカードを押して帰宅する。土日祝日は休みで、もちろん残業もなし。ほぼ20年間、そんな生活を続けたという。幾度となく壁にぶつかるうちに、仕事に対する情熱などなくなっていったのだ。

◆時給1000円のアルバイトに…

「実はすぐ“アルバイト契約”を通告されました。時給1000円は20年間変わっておらず、月収もずっと18万円。会社の鍵を開けて、お茶や軽食の準備をしたり、接客をしたり。先輩がお情けで置いてくれているんです。手取りだと15万くらい、ボーナスもないから年収も300万未満ですが、それでもありがたいくらい」

 そんな待遇でも仕事を続けることができるのは、たとえ雑用でも「制作会社の一員として大手キー局のなかにいられる」というわずかながらに残されたプライドゆえか。

「実家の持ち家もあるし、結婚も諦めてるし、出世欲も当然ない。やりたいこともないし、あとは親の介護くらいでしょうね。一人になれば、実家を売るなりして、なんとか自然死するまでは生き延びようかと……」

 50を超え、夢も守るものもなく、あとは座して死を待つのみ。毎月10万円以上を貯蓄に回しているのは、趣味もなく、興味のあることもないからだ。かつて“神童”と呼ばれた男は、社会に潰され、人生を悟り、無の境地に達したのかもしれない。生きる意味について問うと、吉原さんからは意外な答えが返ってきた。

「結局強い者が強い。弱い私は弱く生きるしかない。楽しみ? 明日の弁当に何を入れようかとか、週末にはサウナに行ってみようかとか、ささやかな楽しみはある。意味なんて欲しなければ、人間、これほど楽なことはありませんからね」

 今回は特殊なケースかもしれないが、高学歴のエリートほど、一度挫折してしまうと脆いということなのかもしれない。<取材・文/山口準>

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  • 1/13 8:54
  • 日刊SPA!

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