交流戦MVPも? 骨折から復帰し大活躍の「世界の亀井」にクローズアップ!

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 2年ぶりに巨人が優勝して、フィナーレを迎えようとしている今年の交流戦。全日程が終了した後に発表される、交流戦MVPにも注目が集まっている。その候補の1人に挙げられているのが、プロ入り10年目の亀井善行だ。

 交流戦中に骨折から復帰し、その後、チームは11勝5敗と波に乗った。まさに交流戦優勝の立役者といえる亀井は、ネット上で「世界の亀井」と呼ばれているという。いったいこれはどういうことか。ドラフト時から亀井を取材しているスマホサイト『週刊野球太郎』編集部に聞いてみた。

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◎プロフィール

 1982年7月28日、奈良県で生まれた亀井。上宮太子高時代は、本格派右腕としても、上手いバッティングを見せる打者としても注目を集め、3年春のセンバツに出場した。中央大入学直後にヒジを痛めて、本格的に野手一本でプレーすることになる。その類い希なる野球センスで1年春から頭角を現し、リーグ戦にスタメン出場。大学4年間では、中軸を打ち続け、「戦国東都」でベストナイン、MVPも獲得する活躍で、最終的には通算100安打も達成した。4年時は主将を務め、2004年秋のリーグ戦で25年ぶりの1部優勝を成し遂げた。

 その後、2004年ドラフト4巡目で巨人に入団。2009年にはWBC日本代表に選出され、世界一も経験した。しかし、プロ入りから昨年までの9シーズンで、100試合以上出場したのはわずか2シーズンだけ。2009年の大活躍や、要所で印象的なプレーヤ結果を残すことでわかるように、能力は非常に高い選手だが、層の厚い巨人では、レギュラーに近づいても、ちょっとしたケガや不調で大きく遠のいてしまい、なかなかレギュラー獲得とはいかなかった。

◎骨折から復活した今シーズン

 とにかくケガに泣かされることが多かった亀井。 プロ2年目の2006年には肋骨を骨折。2008年には右足を捻挫。躍進を遂げた2009年の後にも、2010年にはケガで何度も2軍落ちを経験し、2011年には試合前のノックで右手薬指を骨折。2012年には頭部死球を受けたこともあった。

 そういったこともあってか、昨年1月に登録名を「亀井義行」から「亀井善行」に変更。心機一転でシーズンに臨むも、キャンプ2日目にして左ふくらはぎを肉離れ。そして、今季も沖縄キャンプ中の2月末に、守備練習で右手人差し指を骨折してしまった。

 リハビリ生活を送った後、今季の初出場は5月31日のオリックス戦。その復帰初戦の延長12回に、決勝本塁打を放つ。この試合は、金子千尋(オリックス)に9回無安打ピッチングをされた試合でもあり、チームにとっても、亀井にとっても大きな一発だった。その後も打ちまくり、交流戦期間中の16試合で打率.356、3本塁打、10打点を記録。勝利打点は4度と、亀井は文字どおり交流戦優勝の立役者となった。

◎「世界の亀井」とよばれるのはなぜか?

 波瀾万丈の野球人生を送ってきた亀井を、ネット上では「世界の亀井」とよんでいる。これは亀井が2009年のWBCに出場したことに起因しているという。まだ規定打席に達したシーズンがなかった亀井は、走力と守備力と使い勝手のよさを買われて選出された、いわば“サプライズ選出”だった。特に、その強肩は目を見張るモノがあり、イチロー(現ヤンキース)と互角にキャッチボールができるのは亀井しかいない、という噂話や、スボンの裾を上げるオールドスタイルを稲葉篤紀(日本ハム)に進言したり、1打数1安打1犠打で打率10割だったり、といったことが組み合わさり、「世界のイチロー」に対して「世界の亀井」と呼ばれるようになったという説もある。


 ケガで出遅れたこともあり、これから全試合フル出場を続けても規定打席に乗ることも、シーズンの成績として2009年を超える可能性も難しいが、守備・走塁でも貢献度の高い亀井がチームにもたらす力は数字以上のものになるはずだ。シーズン終了後に「影のMVPは亀井」と言われるのではないかと今から期待したい。

 キューバ代表のセペダを差し置いて、スタメンで出場する亀井はまた一歩、「世界」に近づいた、といえるのではないだろうか。

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