運も実力のうち、とはこのことか!? ああ無情……「あと1人」でノーヒットノーランを逃した男たち

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 5月2日、QVCマリンフィールドで行われたロッテvs西武で、西武のエース・岸孝之がノーヒットノーランを達成した。許した走者は初回に与えた四球1つだけで、プロ野球史上78人目(通算89度目)の快挙であった。

 この78人のなかに自らの名前を刻むことは、投手にとって非常に名誉なことだろう。しかし、過去にはあと一歩のところでノーヒットノーランを逃し、その名前を刻むことができなかった投手もいる。プロ野球の歴史に詳しいスマホサイト『週刊野球太郎』編集部に、その“ノーヒットノーラン未遂”を起こした投手たちについて語ってもらった。

     *   *   *

◎西口文也(西武)の場合

 “ノーヒットノーラン未遂”で有名なのは、2度にわたり「あと1人」でノーヒットノーランを逃した西口文也(西武)だ。まずは、2002(平成14)年8月26日、西武ドームで行われたロッテ戦。9回2死の「あと1人」でノーヒットノーランという場面を迎えた。しかし、小坂誠(現日本ハムコーチ)にセンター前ヒットを打たれ、名誉ある記録は寸前でスルリと逃げてしまった。

 2度目のチャンスは交流戦でやってきた。2005(平成17)年5月13日の巨人戦。9回2死までに許した走者は死球による1人だけ。今度こそ……と期待が高まったが、清水隆行(現巨人コーチ)に本塁打を浴び、またしても大記録を逃した。

 西口の悲劇はこれで終わらない。同じ2005(平成17)年8月27日の楽天戦では9回終了時点で、なんと1人の走者も許さない完全試合ペース! しかし、味方も得点できず、参考記録となって延長戦へ突入した。そして10回、先頭の沖原佳典(現楽天コーチ)に右前打を浴び、ノーヒットノーランも達成できなかったのだ。

◎仁科時成(元ロッテ)の場合

 もう1人、ノーヒッターになるチャンスを2度逃した投手がいる。ロッテで活躍したアンダースロー・仁科時成(にしな・ときなり)だ。1度目の快挙を逃したのは、1983(昭和58)年8月20日の近鉄戦。9回2死までノーヒットに抑えながら、仲根正広(当時の登録名は政裕)に阻止された。

 283日後の1984(昭和59)年5月29日、再び仁科にそのチャンスがやってくる。相手はまたも近鉄で、またもや9回2死まで無安打に抑える好投をみせる。しかし、今回は平野光泰に、無情にもレフトの前にポトリと落ちるヒットを打たれて、記録達成ならず。悔しがるサブマリンは、マウンド上で肩を落とした。

◎多田野数人(日本ハム)の場合

 近年では2010(平成22)年7月10日のロッテ戦で、日本ハムの多田野数人が9回2死までロッテ打線を無安打無得点に抑えた。しかし4番打者・大松尚逸にライト前ヒットを浴び、記録は夢と消えた。


 最初に紹介した西口は、同僚の岸がノーヒットノーランを達成したことについて、「今年はずっといい投球を続けていたし、(ノーヒットノーランを)やってもおかしくないと思っていた。素直に嬉しいです」とコメント。対する岸は「西口さんには申し訳なかったですけど……」と苦笑いしたという。

 かつては岸に調整方法をアドバイスしたこともあるベテラン右腕・西口。岸のノーヒットノーランは、西口の支えがあってこその達成だったとも言えるだろう。

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この記事のみんなのコメント

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  • 西口投手の「9回27人パーフェクトに抑えて完全試合ならず」は、ある意味唯一無二の記録ですね(^_^;)

  • ふむ.。oO 記憶に残る?

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