メジャーを代表する偉大な強打者とセンバツ・日本プロ野球との意外な関係とは!?

 1回戦から盛り上がる試合の連続で、今年のセンバツも多くの興味・関心を惹きそうだ。これほどにも人気の野球(高校野球)だが、戦後すぐは盛り上がりに欠けていた。それをなんとかしようと毎日新聞は、とあるメジャーリーガーに掛け合ったらしい。アマチュア選手情報だけでなく、歴史にも詳しいスマホサイト『週刊野球太郎』編集部に、その詳細について聞いてみた。

     *   *   *

 昭和初期、当時の文部省から発令された「野球統制令」の影響で、学生野球は萎縮した雰囲気になっていたそうだ。それまでセンバツの優勝校はアメリカ旅行をプレゼントされていたが、それも中止。これを払拭する意味で、主催の毎日新聞は、第9回大会から最も本塁打を打った選手に“ベーブ・ルース賞”を贈ることにした。

 ベーブ・ルースはアメリカのキャンプ地で、この企画に関してコメント。「センバツ大会は日本で大人気。連日、数万人の観客が集まると聞いている。若い球児たちに賞を贈ることで、日本の野球が発展するなら最大の喜びだ」。ルースはなにかと、日本の野球界を気に掛けていたようだ。

 初のベーブ・ルース賞を獲得したのは、平安中のエースだった本田親喜選手。大会1日目の中京商戦で大会初本塁打を放つなどして本塁打王に輝き、賞を獲得したそうだ。

 その2年後、1934年の秋頃に日米野球で来日したルース。実は長い船旅を理由に、日本遠征をためらっていた。しかし、当時の日米野球開催に奔走していた交渉役の鈴木惣太郎氏が、アポなしでアメリカまで出向いてルースのもとへ電撃訪問。その時、日本で作られたルースの似顔絵が描かれた日米野球のポスターを見せて「日本のファンは、あなたを待っています」と説得。そのポスターを見てルースは日本行きを快諾したというエピソードもあった。

 ちなみに、この日米野球では全日本チームは、18戦全敗と完敗に終わる。しかし、当時17歳だった沢村栄治がルー・ゲーリックに打たれたソロ本塁打のみに抑えた、今もまだ語り継がれる好ゲームがあったのも、この年の日米野球だった。そして、なにより、この日米野球を契機として、12月26日に株式会社大日本東京野球倶楽部(現在の巨人の母体)が創設され、日本初となる職業野球チームが誕生。日本のプロ野球の歴史がスタートしたのだった。

 センバツを盛り上げることに一役買い、日本に来日した直後に現在のプロにつながる、職業野球チームが誕生した。ベーブ・ルースは日本の野球界に深く関係していたことは、あまり知られていない。

(参考文献/『不滅の高校野球』松尾俊治著)


※『週刊野球太郎』は、新シーズンを楽しむネタが満載。auスマートパス、Yahoo!プレミアム、ドコモSPモードでサービス中です。

『週刊野球太郎』「センバツの見方が変わる![年代別]深いい話」はセンバツの歴史を紐解き、ファンに刺さる“深いい話”満載のコーナーです!

関連リンク

  • 3/26 11:30
  • Scoopie News

スポンサーリンク

記事の無断転載を禁じます