第1回「センバツ」は名古屋で開催された!? ~甲子園でも豊中でも鳴尾でもない左右非対称の山本球場とは~

 いよいよ今週の21日(金)から始まる第86回選抜高等学校野球大会。開催地はもちろん“高校野球のメッカ”阪神甲子園球場である。しかしながら、春のセンバツが甲子園で行われるようになったのは第2回大会からだという。これはいったい、どういうことか。プロ野球のみならず高校野球情報も詳しいスマホサイト『週刊野球太郎』編集部に聞いてみた。

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◎第1回大会は山本球場で開催

 選抜高等学校野球大会の前身である、全国選抜中等学校野球大会は、1924(大正13)年4月1日に開幕した。全国から選ばれた8校が参加して、高松商業高が栄えある第1回大会の優勝校となった。

 実はこの第1回大会は、甲子園ではなく愛知県名古屋市の郊外にあった、山本球場というところで開催されたのだった(甲子園自体も1924年8月に完成したこともあり、第1回大会の時には現存していなかったことも関係している)。山本球場は1922年に完成し、当時の収容人数は2000人と、名古屋では最初の本格的な野球場だった。ちなみにこの球場は、山本権三郎という人物が造ったといわれており、球場名の由来はそこからきている、という説が有力だ。

◎山を削ってできた山本球場

 その山本球場は、甲子園と比べると相当狭かったそうだ。野球場は「ホームベースから250フィート(約77メートル)以上必要」というルールがある。しかし、それすら当てはまっていなかったようで、当時の選手たちの話では、外野手の普段の定位置くらいの広さしかなかったという。そのせいもあり、第1回の“センバツ”は8試合で12本塁打が飛び出す事態となった。

 山本球場は山の頂上を削って造った球場で、土は硬くて石もゴロゴロと転がっていたという。またレフトとライトの距離も均等ではなかったという証言もある。

◎現在の山本球場は?

 その山本球場は戦後の1947(昭和22)年、当時の国鉄が買い取り、球場名も「国鉄八事(やごと)球場」に変わった。さらに国鉄が分割民営化されると、「JR東海八事球場」と名称変更され、社会人野球チームの練習場として使われた。しかし、1990(平成2)年に閉鎖され、現在はマンションが建てられている。

 だが、当時の本塁付近には、第1回全国選抜中等学校野球大会が行われたことを記念して、日本高等学校野球連盟と毎日新聞社により、モニュメントが設立されている。そのモニュメントには「センバツ発祥の地」と書かれ、歴代のセンバツ優勝校の名前が刻まれているという。

(参考文献/『不滅の高校野球』松尾俊治著)


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