【球界偉人列伝】史上最速の64歳・村田兆治の伝説

 本日11月27日はロッテオリオンズの大エースとして活躍した村田兆治の64歳の誕生日だ。この記念日を祝うべく、球界の歴史にも詳しいスマホサイト『週刊野球太郎』編集部に、「村田兆治伝説」について聞いた。

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【「ヒジにメス」を球界の常識にした男】
 村田兆治といえばダイナミックなマサカリ投法。そこから繰り出す快速球とフォークボールを武器に、通算215勝、最多勝1回(1981年)、最優秀防御率3回(1975、1976、1989年)、最多セーブ投手1回(1975年)に輝いた、1970~80年代の球界を代表する投手だ。

 そして村田を語る上で欠かせないのが、1983年にフランク・ジョーブ博士執刀のもと受けたトミー・ジョン手術。左腕の腱を右ヒジに移植し、リハビリの末に1984年シーズンの終盤に復帰。1985年には見事カムバック賞も受賞した。

 当時の日本球界では、投手のヒジにメスを入れることはタブーとされていたが、村田の復活によって有効な治療法として認知され、後の桑田真澄(元巨人ほか)をはじめ、この手術で復活する投手の道筋を作ることに寄与した。

【「中6日ローテーション」を球界の常識にした男】
 この村田のカムバック劇で生まれた副産物が、投手の「中6日ローテーション」だ。当時の球界では、先発投手は中3~4日の間隔で投げることが当たり前だったが、1985年に村田が本格復帰をした際、ヒジへの負担を考慮し、週一回・日曜日に限って先発させる起用法を確立。「サンデー兆治」は開幕から11連勝をあげ、最終的には17勝5敗の大活躍。週一回・中6日での登板が広まるキッカケを作った。

【60歳を超えて140キロに挑む超人】
 そんな村田の座右の銘は「人生先発完投」。短いイニングであればまだまだ球速140キロ台後半も可能だった41歳のシーズン(1990年)に、「先発を全うできない」と引退を決意した。

 しかし、引退後もトレーニングを欠かすことはなく、マスターズリーグで140キロに挑戦する姿が風物詩に。そして今年の8月30日、ロッテ対日本ハムで始球式に登板し、63歳にして球速135キロを記録。その超人ぶりを改めて披露した。

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