なぜ星野監督の背番号は「77」なのか? 巨人との深すぎる因縁...

 日本一を成し遂げた東北楽天ゴールデンイーグルス・星野仙一監督。そこで、楽天市場に出店している店では、星野監督の「背番号77」にちなみ、価格を77%引きにするセールが行われた中で、一部店舗にて不当表示があったことが問題となっている。

 このことで「77」という数字が一人歩きし、「そもそも77%OFFにムリがあった」など、どこか悪者になっている印象すら受ける「77」。だが、星野監督にとってこの番号は、中日監督就任以来ずっと背負い続けてき大切な背番号だ。なぜ星野監督は背番号「77」なのか。プロ野球のうんちくにも詳しいスマホサイト『週刊野球太郎』の編集部に聞いた。


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【背番号「77」は川上哲治の影響】

 1982年に引退するまで、中日のエースナンバー「20」を背負っていた星野監督が、1987年に中日の監督に就任する際に選んだのが背番号「77」だった。その理由は、引退後に薫陶を受けた巨人の名監督・川上哲治氏の監督時の背番号「77」にあやかったものだった。

 現役引退後、1983年から1986年までNHKの解説者を務めた星野監督。この間、同じNHKの解説者だった川上氏と仕事先で一緒になることが多かった。時には星野監督が運転する車で食事やゴルフにも出かけ、様々な会話の中から野球哲学を学び、後の監督就任に備えたという。

【ドラフトからの川上との因縁】

 星野監督と川上氏の因縁は、星野監督のドラフト時までさかのぼる。1968年秋に行われたドラフト会議。明治大のエースとして注目を集めていた星野監督だったが、川上氏が監督を務める巨人のスカウトから「君を1位指名する」という言葉をもらい、指名されると思い込んでいた。

 ところが、ドラフト会議で、実際に巨人が1位指名したのは島野修投手(武相高)。

 「<星>野と<島>野の間違いではないのか?」

 という名文句が生まれた瞬間であり、ここから星野監督の打倒巨人の野球人生が始まったのは有名な話だ。

 そして1974年、川上監督率いる巨人のV10を阻止した中日の胴上げ投手となったのが星野だった。

【40年ぶりに宙を舞った背番号「77」】

しかし、このエピソードには後日談がある。現役引退後、星野は川上に直接「なぜ、自分を指名しなかったのか」と質問。その理由は「『星野はヒジを故障している』とスカウトから情報が入り、最後の土壇場で島野指名に切り替えた」というもの(※実際には故障していなかった)で、以降、わだかまりは解消したという。


 そして2013年、川上氏の持つ監督通算勝利1066勝を抜いた星野監督。川上氏が亡くなった直後に日本一となり、川上氏以来40年ぶりに胴上げをされたのが背番号「77」なのである。


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