佐藤仁美、仕事激減の過去を明かす
7日に放送したフジテレビ系『アノ人たちの作り方~なぜこうなった!?ファクトリー~』に女優の佐藤仁美が出演し、転落期と再ブレイクについて語った。
佐藤は1995年に「第20回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で4万3,723人のなかからグランプリに輝き、女優としてデビュー。1997年には、初主演映画「バウンスkoGALS」でブルーリボン賞など5つの新人賞を総なめにするなど、順調にキャリアを積んでいった。
しかし、佐藤はそのころからプライドが高くなり、天狗になっていったという。勝手に仕事を切り上げて帰ってしまったことや、アイドルがやるような仕事はしたくないと、水着の仕事を嫌々したこともあり、「自分の替えは自分しか効かない」「私があなた達より稼いでるって知らないでしょ」と常に思っていたと、当時の生意気っぷりを語った。
ところが、30歳を超えると仕事がなくなり、2008年には12本あったドラマの出演が、2010年には単発ドラマが4本と激減。1年半程仕事が無かった時期もあり、マネージャーに「今干されてます?私」と尋ねたこともあったと語った。
その後、新宿二丁目のゲイバーに通うなどして新たな生き方を学び、日本テレビ系『家政婦のミタ』で、自身の年齢より遥かに年上の女性の役を、プライドを捨て去り演じて、女優として再び輝きを取り戻したという。
これに対しインターネット上では、「よく持ち直したな」「ありのままの自分でいいね」などの意見が寄せられた。