侍ジャパンのルーツは「全日本トンボ軍」だった!? 日本代表の深遠なる歴史

 日本シリーズの後は、日本代表!
 侍ジャパン・小久保裕紀新監督の初陣・台湾との強化試合が、今週の11月8日から10日にかけて、台北で開催される。42歳の小久保監督以下、コーチ陣も代表選手もフレッシュな顔ぶれが揃った今回の侍ジャパン。若いチームだからこそ、過去の伝統を学び、「国を背負う重み」知るべきではないだろうか。

 そこで侍ジャパンのルーツとも言うべき「初代日本代表」とはどんなチームだったのかを、野球の歴史に詳しいスマホサイト『週刊野球太郎』編集部に聞いた。


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【ルー・ゲーリッグ、ベーブ・ルースと戦うために生まれた全日本軍】

 公的な「野球日本代表」が生まれたのは1954年。アジア野球選手権開催にあたり、代表チームを派遣するために編成されたものが最初と言われている。

 だが、さらにその20年前にも全日本選抜チームは存在していた。1934年、ルー・ゲーリッグ、ベーブ・ルースなどそうそうたるメンバーが来日した日米野球のため、初めてのプロチーム「全日本軍」を作って迎え撃ったのだ。(※1934年以前にも日米野球は何度も行われていたが、それまでは大学のチームや、大学選抜、地域選抜が試合に臨んでいた)

【チーム名は「全日本トンボ軍」?】

 1934年10月15日、千葉県の谷津海岸に新設された谷津球場に30名の選手が集まり日本チームは結成された。この際、球場にたくさんの数のトンボが飛来したため、チーム名を「全日本トンボ軍」にしてはどうか。という案があったという逸話が残っている。

 今の日本代表の愛称「侍ジャパン」は広く親しまれるものとなったが、果たして、どこか頼りない「全日本トンボ軍」を名乗っていたら、野球がここまで人々に愛されていたかは疑問である。

【全日本から生まれた後の読売ジャイアンツ】

 この全日本軍には、沢村栄治、スタルヒン、水原茂、三原脩ら、日本野球史を語る上で欠かせない偉人たちが名を連ねたが、アメリカチームの前に0勝16敗と全敗を喫した(※内、1敗は東京選抜チーム)。

 しかし、この日米野球をキッカケに日本の野球熱は高まりを見せ、日米野球後の12月末、全日本軍の選手を中心にした選手19名で株式会社大日本東京野球倶楽部が結成。これこそが後の読売巨人軍であり、翌1935年にはアメリカ遠征を行い、日本の職業野球が本格的に始まることとなった。

 つまり、全日本チームこそが、日本プロ野球のルーツであり、魂だったのである。


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