悲運の男の壮絶な生き様! 闘魂・星野仙一の見果てぬ夢

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 今年のドラフト会議で、5球団が競合した中から松井裕樹(桐光学園)との交渉権を獲得した東北楽天ゴールデンイーグルス。ドラフト会議終了後、「夢を夢とするなかれ」という星野仙一監督直筆メッセージを手にした松井の姿も話題となった。

 実はこの「夢」の文字、星野監督にとって、野球人生を語る上で欠かせないキーワードなのだ。サイン色紙には必ず「夢」と書き、『夢』と銘打った著作まである。

 星野監督が「夢」の大切さを訴えるのは、自身が今なお、現在進行形で「夢」を追いかけているからだ。その夢とは悲願の日本一。星野氏は監督としてだけでなく、現役時代にも一度も日本一の座に輝いたことはなく、それ以外でもことごとく頂点に縁のない野球人生を歩んできている。

 そこで野球界の裏話にも詳しいスマホサイト『週刊野球太郎』編集部に、星野監督の「夢」にまつわるエピソードを聞いた。


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【あと一歩で「夢の甲子園」出場を逃した高校時代】

 さかのぼれば、星野氏の野球人生は、常に夢を追いかけ、その夢が叶わないことの連続だった。

 たとえば高校時代、岡山県の強豪・倉敷商業高校で甲子園を目指したが、一度もその夢は叶わず。特に最後の夏は岡山県大会を制したものの、当時の甲子園大会は「一県一代表」ではなく、その後の東中国大会決勝で涙を飲む形となった。

【「法政三羽ガラス」に夢を阻まれた大学時代】

 明治大に進学した星野は1年生ながら1軍メンバーに選ばれ、2年生時にはノーヒット・ノーランも達成。名実ともに東京六大学リーグのエースだった。それでも、4年間で一度もリーグ優勝をすることができなかった。

 ライバルの法政大に田淵幸一(元阪神ほか)・山本浩司(のちの山本浩二/元広島)・富田勝(元南海ほか)の「法大三羽ガラス」がいたからだ。

【「夢の巨人入り」が叶わなかった運命のドラフト】

 1968(昭和43)年のドラフト会議。上記の「法大三羽ガラス」の他、東尾修(元西鉄)や山田久志(元阪急)など、アマチュア球界の大物選手がズラリ揃っていた中で、一番人気は六大学の本塁打記録(当時)を打ち立てた田淵幸一。そのため、星野は巨人のスカウトから、「田淵を他の球団が指名したら、君を1位指名する」と事前に言われていた。ところが、阪神が田淵を指名した後に巨人が1位指名したのは島野修。星野は「<星>と<島>の間違いではないのか?」という有名な言葉で悔しさを表現。またも夢は叶わなかった。

【V9時代の巨人に阻まれ続けた現役時代】

 星野がプロ入りした当時はちょうど巨人のV9時代。そのため、チームはなかなか勝てない日々が続いたが、1974(昭和49)年、自身の初代最多セーブのタイトルと沢村賞を獲得する活躍もあって巨人のV10を阻み、チームを20年ぶりのリーグ優勝に導いた。しかし、ロッテオリオンズとの日本シリーズでは星野も打ち込まれ、チームも2勝4敗で日本一の夢を逃した。

【監督としても、一度も頂点は掴めず】

 現役引退後は監督として、中日時代には1988(昭和63)年と1999(平成11)年に、阪神時代には2003(平成15)年にリーグを制したが、一度も日本一の夢には届いていない。また、2008(平成20)年の北京五輪では日本代表監督に就任し、「金メダル以外いらない」と公言して臨んだが結局メダルにも届かなかった。常に夢を掲げ、そこにわずかに届かないのが、悲運の男・星野仙一の生き様なのだ。

 監督として4度目となる日本シリーズで遂に夢は叶うのか。それとも、夢の文字を託した黄金ルーキーのもと、来季以降に継続されるのか? 星野仙一の夢への道は、まだ終わっていない。

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