谷繁がプレーイングマネージャーとして指揮をとることが決定! プレーイングマネージャーの年俸ってどうなってる?

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 先週の10日、中日ドラゴンズは来季の新監督に谷繁元信が就任すると発表した。球団側から監督就任を要請したところ、谷繁は「選手兼監督」を条件にその要請を受諾したという。選手として試合に出場しながら同時に監督業も務める「プレーイングマネージャー」と呼ぶことも多い。

 最近では2006(平成18)年から古田敦也(当時ヤクルト)が務めていたことを覚えている読者も多いだろう。しかし、その古田率いるヤクルトは2006年3位、2007年6位と結果を残せず、古田はその年オフに現役引退、監督も退任した。

 チームを指揮する監督業と同時に、自らも選手として試合に出場して成績も残さなければならないプレーイングマネージャー。考えただけでも大変そうだが、そのあたりをプロ野球情報に詳しいスマホサイト『週刊野球太郎』編集部に聞いた。


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【そもそも野球の監督が誕生したキッカケは?】

 野球というスポーツが誕生した18世紀後半は、チームの指揮は他の選手から信頼されていた主将や、野球ルールに詳しい選手が執っていたそうだ。選手兼任の監督なので、当然ユニフォーム姿で指揮を執っていた。それが元で、野球は監督でもユニフォームを着るという珍しいスポーツになったらしい。

 ちなみにユニフォームを着ないで監督が指揮を執っても、ルール違反にはならない。大リーグのコニー・マック(元パイレーツほか)は、監督生活50年の間はスーツにネクタイ、マウンテンハットか麦わらのカンカン帽を被って指揮を執っていたそうだ。日本のプロ野球では、今まで私服姿の監督は残念ながらひとりもいない。

【やっぱりノムさんはスゴかった!】

 その日本のプロ野球界で最も有名なプレーイングマネージャーは、なんといっても野村克也、通称「ノムさん」だ。1970(昭和45)年から1977年の8年間、南海ホークスでプレーイングマネージャーとして活躍。特筆すべきは「監督」、「捕手」、「4番打者」を全てこなした点だ。1973年には監督としてパ・リーグ優勝を達成し、自らは選手としてMVPを獲得。任期の間にチームを6度のAクラスに導くなど、素晴らしい成績を収めた。

 ちなみにプレーイングマネージャーでリーグ優勝した監督はノムさんを含め4人。日本シリーズ優勝は1950(昭和25)年に毎日オリオンズを率いた湯浅禎夫(ゆあさ・よしお)だけだ。

【選手としての給料は? 監督としての給料は? ふた役分貰える給料の話】

 ノムさんの著書によると、プレーイングマネージャー時代は選手としての給料と、監督としての給料を別々で貰っており、合計すると当時の金額で1億円を超えていたという。

 前述した古田の場合も、選手としての年俸と監督としての年俸は分かれていた。監督として年俸1億円の2年契約を結び、 選手としては年俸2億3000万円の 1年契約で合意。合計3億円以上の年俸を貰っていた計算になる。

 今回の谷繁の場合、金額面はまだ明らかにされていない。しかし、選手としての今季年俸は1億9000万円で、来季はプラスで監督としての給料も支払われるだろう。

 15日(火)の秋季練習からプレーイングマネージャーとして始動する谷繁新監督。果たして12年ぶりにBクラスに陥落した中日ドラゴンズを再建できるか......要注目だ。


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※本文中の金額はいずれも推定。

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