女人禁制だった高校野球に変化が! 高校野球と女子・女性の歴史を追う!

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 いよいよ佳境に入ってきた夏の甲子園大会。グラウンドで必死に戦う男子選手に対して、ベンチから声援を送る女子マネージャーの姿を見かけることは今では見慣れた光景だろう。彼女たちはスコアブックをつける"記録員"としてベンチ入りを認められた女子たちだ。しかし、ひと昔前は甲子園のベンチには女性が入ることなど考えられなかったという。その"女人禁制"が解除された当時は大きなニュースとなったが、そのあたりをスマホ版「週刊野球太郎」編集部に聞いてみた。

【史上初! 甲子園ベンチに登場した女性とは!?】

 長い甲子園の歴史のなかで、女性で初めて甲子園のベンチに入ったのは1995(平成7)年の第77回大会に出場した柳川の責任教師・高木巧美子さんだ。地方大会では1970年代から"女性部長"が登場するなど珍しくなかったが甲子園大会では史上初。当時は大いに注目されたそうだ。

 高木さんは剣道4段の腕前で高校総体優勝の経験を持つ体育の先生。野球に関しては素人で、スコアの付け方から覚えていったという。寮生の多い柳川では母親代わり、または球児の心のケアでも活躍したそうだ。

【甲子園ベンチに初めて女子高生が! 大変な変革が起きた年】

 翌年の1996(平成8)年、甲子園大会のみならず高校野球界にとって画期的な改革が起きた。第78回大会から新制度が適用され、記録員のベンチ入りが認められたのだ。これまでは責任教師か控えの選手がベンチでスコアブックをつけていたが、それを16人の選手登録(当時)の他に記録の専任者がベンチへ入れるようになる、という新制度が導入されたのだった。

 高校野球のベンチ入りメンバーは「男子生徒に限る」と試合規定に縛られていたが、この新制度により同年の甲子園大会では9校の女子マネージャーが試合に出場する選手に交じり、甲子園ベンチでスコアをつけた。選手に関しては事前登録が必要だが、記録員についてはその試合毎に人の入れ替えが可能というルールであった。

【泣かせるエピソード! 男子部員と女子マネの感動秘話】

 この記録員制度が導入された年に甲子園出場した東筑の女子マネージャー・三井由佳子さんは、実は男子部員から譲られたものだった。東筑は福岡大会では3年の男子部員が記録員としてベンチ入りしており、甲子園でも同じようにその男子部員が担当することになっていたが「福岡大会から3年生でベンチ入りしていないのは女子マネージャーの三井だけ。甲子園では三井がベンチに入ってほしい」と自ら身を引いたそうだ。

 甲子園史上初の女子記録員になった三井さんが誕生した裏にはこんなエピソードもあったのだ。三井さんはチームが敗退した2回戦までベンチに座ったが、倉敷工に敗れた試合終了後は、そんな男子部員の想いを受け、ただただ涙したという。

【選手登録はまだできず...しかし、ユニフォームを着てベンチ入りできる方法はあった!】

 マネージャーは記録員としてベンチ入りできるようになったが、選手としては、いまだに登録はできない。最近は硬式女子野球部がある高校も増えてきたが、自分自身はメンバー入りできないことも承知で、男子とともに甲子園を目指すべく硬式野球部に入部する女子はいる。

 近年では一緒に3年間がんばってきたのに、最初からメンバー入りのスタートラインに立たせることができないことを報いるために、"助監督"として登録し、選手とともにユニフォームを着てベンチ入りするケースが目立つ。今年の東京でいうと都青梅総合の宇都宮琴子さんや都大島海洋国際の野口美由紀さんが新聞に取り上げられた。

 女子マネージャーの制度が変わったのなら、選手の制度もいつの日か変わるだろう、と願い続けていいのか? それとも、選手としてプレーするならば、女子硬式野球部がある高校に進学することを薦めるのか? 選手としての"女人禁制"はいつまで? 女子野球部員の今後はどうなる!?

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「女子球児日記」では"部員"として男子とともに戦った女子球児が当時の野球部生活を振り返っています

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